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バルタンの呟き №85 [雑木林の四季]

「11月は文化の月です」

               映画監督  飯島敏宏

 11月3日は文化の日。都心から約40キロ、東京郊外の住宅地に住む、充分に高齢者である僕とママ(普通に高齢のカミさんの事です)は、不要不急の禁を破って、新型コロナウイルス感染の危険を怖れながら、バス、電車を乗り継いで、都心に向かいました。日比谷で地下鉄を降り、永い間のコロナ蟄居から、久しぶりに訪れた地下通路の変わりように驚き戸惑いながらも、迷うことなく目的の地上に出ることが出来てほっとした、その途端、
「えいっ!やっ!」
「ぐえーっ!」
斬りあいの叫びと、激しい剣の交錯音とが、鼓膜を震わせるほどの大音量で耳に飛び込んできたのです。昼下がりの、高層ビルに囲まれた野外の広場です。中央には巨大船の帆を思わせる幕(スクリーン)が張られ、その前に間隔(ディスタンス)を守って置かれた沢山の椅子席は満席です。その周囲をかこむロープの外側にも、大勢の立見客がいます。
「あ、そうだ、たしか今日は、東京国際映画祭・・・」
第二波が寄せたコロナ感染騒ぎで、3蜜自粛の下で、恒例の東京国際映画祭の総指揮に当たる是枝裕和監督が、なんとしても中止を免れようと様々な工夫を凝らしている、というニュースを想起して、その一環の野外上映に違いない、と想像したのです。
 僕とママは、映画祭を目的に出かけたのではなく、3月以来、あの暑熱と長雨の夏を越えて、ようやく秋を迎えてもなお終息の兆しもないコロナ騒ぎで、一転してGO! to, GO! to の旗を振りだした新政権の掛け声をよそに、高齢者、高齢者と、旅行はおろか、友人、家族との団らんまでも儘ならずに居住地に閉じ込められてきた息抜きに、とにかく東京オリンピック・パラリンピック目指してリニュ―アルされた日比谷、銀座辺りにと、お上りさん宜しくやってきたわけなのです。
「えいっ!」
びゅっ! 風を切る剣の響き、超低音から極高音に跳ぶ電子音楽が鳴り響き、観客に、静かなどよめきが起こります。
「む? 鬼滅(きめつ)か?鬼滅の刃か?」
そう呟いたのは、昨今、どこの映画街(でも、大半のスクリーンを占めて上映されているのがアニメ映画「鬼滅の刃(やいば)」だからです。なにしろ、つい先日も、自助自立のおしん総理と謳って登場した新首相さえもが、局面打開のマスコミ受けを狙ったのか、生中継の国会答弁で鬼滅の言葉をひいてみせ、質問女性議員から、さらに鋭利な刃(やいば)刃で斬り返されたほどのブームです。この日、文化功労者に選ばれた著名な小説家の単行本の初版が、読書の秋と言いながら僅かに3000部という出版情勢なのに、「ウチじゃあ、芥川賞、直木賞の単行本が一冊も売れないのに、6000円もする鬼滅の漫画が、追加注文を出す騒ぎなんだから、分かんないねえ」と、行きつけの本屋のおばさんが驚くほどのブームで、アニメ化した映画も、史上最高の成績に迫る勢いだといいます。
でも、それにしては、観客席にほとんど子供の姿がありません。主流は30代後半から40代の大人たちなのです。コロナ下でも「繋がり」を求める是枝監督が仕組んだ野外上映会場らしいのですが、人気爆発の新作映画を無料上映とは・・・
「ん??」
立見の人々の肩越しに見ると、野外大スクリーンに躍っているのは、鬼滅の刃ではなく、戦士、戦隊もの、ライダーものと、アニメのヒーロー名場面クロニクル的な映像です。
「となれば・・・もしや、バルタン星人も?」
期待に駆られて、道路脇の上映プログラムを見た僕は、
「なぜだ、時代が、変わった・・・のか」
思わず、呟きました。なんと、実写、アニメ双方のヒーローが並び立つレパートリーに、ウルトラマン、バルタン星人が、ないのです。すでに生誕50余年、初期ウルトラのファン、マニアの年齢は、いまや50代後半から60代、僕たち初代のスタッフ、キャストは、アーカイブと呼ばれる立場・・・とすると、ウルトラマン、そしてバルタン星人は、もはや・・・
「どうかしたの?」
ママは、ガスが抜けた風船のように傍らの柱に寄り掛かった僕を気遣ってくれます。ママや子供たちに迫られて、遂に、運転免許の返上を決めて以来、急速に、体力、気力の衰えを実感している今日この頃なのです。が、ここは、気を取り直して、
「いや、そんなことはない。現に今、テレビでも新シリーズが放映されているはずだし、噂の大作「シン・ウルトラマン」も完成して劇場封切りも近いはず・・・」
 でも、なぜ、しかし・・・呟き続ける僕に、ママ(カミさんのことです)は、
「いいじゃないの、また何か新しいものを書けば・・・」
肩に手をかけて、歩き出すように促しながら、さばさばと言ったのです
 気が付けば、お互いの半生を超えて同じ屋根の下で暮らしてきた、しかも、もとはといえば映画界育ちのママです。後ろを振り向いてもどうにもならないことを、熟知しているのです。
「世の中どんどん変わってるのよ。A子(僕たちの25歳になる独立心のつよい孫娘です)だって、映画は映画館じゃなくネットで見てるって」
「知ってるさ。ネットフリックスのことだろう。僕だって、ガラパゴスじゃない!」
そうはいっても、やや消沈する僕だったのです。
 でも、ママは、予感の神さまなのです(自称ですが)。その翌日、去年僕の初めての小説「ギブミー・チョコレート」の単行本を出版してくれたK出版の編集者から、「続編は、文庫書下ろしで・・・」改めて打ち合わせたいと電話がかかってきたのですから。そして更に、予感の神さまは、おまけも添えてくれました。その翌日に、既刊の単行本「バルタン星人を知っていますか?」(小学館)のWeb版発行も本決まりというメールが届いたのです。
「唄は世につれ、世は唄につれ。乗っていけばいいのよ、世の中の流れのままに」
ママは、時として処世哲学者でもあります。
 さてその翌日は、気を取り直して池袋へ。「瞽女(ごぜ)」という、いまや、わがPCの漢字変換も素直には出してくれない漢字題名の映画を観に行きました。僕の、怪獣が出ない劇場映画「ホームカミング」や、宮城県と仙台市のゆるキャラ「むすび丸」の歌を作詞した時に、冬木透さんの曲の編曲をしてくれたまついえつこさんが、劇伴音楽とピアノ演奏を担当して、
「監督が、家を売って撮った映画です」
と、前売り券を贈ってくれていたからです。
 瞽女とは、文字通り、目の不自由な女性で、太棹(ふとざお)の三味線を携えて諸処を歩いて命を支える旅芸人です。先年、その最後の一人として亡くなられた実在の瞽女の、誕生から、幼児、少女時代を通して続く厳しい修行を経て、一人前の瞽女となり、やがて親方として、東北地方の春夏秋冬を歩き続ける行脚を、子と母の物語として、実写でリアルに映画化した作品です。まだ、東京では一館の上映のようでしたが、ベルリン映画祭に出品が決まっている、という事でした。瞽女ものといえば、かつて(1977)篠田正弘監督、岩下志麻主演、キャメラ宮川一夫、音楽武満徹の「はなれ瞽女おりん」という作品がありましたが、この瀧澤正治監督「瞽女」も、真正面から取り組んだ丹念端正な演出と、淡麗な画像の、見事な作品でした。
 盲目という不運な生を受けてから、幼児、少女、娘時代と続く苦しく荒い修行と、美しくも過酷な雪国の自然と、貧しくも暖かい人情の繫を綴る、悲惨な出来事も含んだ旅を、泣けます、泣けます、調ではなく、過剰にならず静謐に押す演出を援けて、まついえつこさんの音楽も、音符ではなく、口伝の韻律で唄う瞽女唄と確と溶け合った曲と演奏で、清々しい感動を残してくれました。
「ベルリン映画祭で賞を取って、凱旋上映に漕ぎつけるといいな」
宣伝の不足もあり、コロナ騒ぎもありで、館内は疎らで、数えるほどの観客でした。でも、確かな感銘を顕しながら席を立ってゆく観客たちを見ながら、上映中、なんとも愛らしい子役のんの懸命な演技と、瞽女の師匠から情け容赦なく芸をたたき込まれる我が子の姿を苦衷に堪えて見つめ、盲目で生きぬく術(すべ)術を、自らも鬼となって覚えさせる母の姿に、終始涙を隠しかねていた預言者ママは、
「大丈夫、この映画は、きっと受賞して話題作になるわ」
明るくなった場内で、瞼の裏に瞽女ハルの面影をうるうると焼き付かせたまま、そう予言しました。
 映画界から監督として文化功労者に選ばれた名撮影技師の木村大作さんが、「年金が貰えるのが嬉しい。さっそく、映画に使います」と感想を述べておられましたが、まさに直截極まりない感想でした。実は、かつて木下恵介監督も、文化功労者として授賞の打診があった際に、居合わせた僕に、「文化功労者には年金が付くのかしら」と仰言ったのです。単なる名誉賞だったら、お断りになる積りだったのかもしれません。
「お受けになったら如何ですか」
と勧めた僕は、お陰様で、当時少々歩行に難のあった木下恵介監督の介助者として宮中にお供することが出来たのです。国として映画を本腰で支える韓国に先進を逆転されたわが国の文化庁が選抜した映画に与える額は、実に僅少で、製作費とは言い難い額です。それさえも、この「瞽女」には、与えられなかったようです。かすかにその時代を知る老齢者である僕が僅かに感じた時代的な瑕疵は、製作費の不足からの事由に違いないのです。
 その翌日、僕たちは、それが与えられ、テレビ局を中心に製作委員会が組まれた直木賞原作の映画も観に行ったのですが・・・残念ながら、理解を超える演出と映像の飛躍に尾いて行けずに、老齢者を描いた作品にも拘らず、主人公よりもさらに老齢の僕たちには、私家版(プライベートフィルム)としか映らなかったのです。
帰途、コロナ対応の都のお墨付きの洋食屋で、赤と白の格安グラスワインを捧げ併せた時でした。
「あっ・・・」
その小さな音で、ふたり同時に、気が付いたのです。
 11月は、文化の月です。そして、10日は、僕たちの結婚記念日だったことに・・・


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