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いつか空が晴れる №95 [雑木林の四季]

      いつか空が晴れる
        -ジミ・ヘンドリックスのアメリカ国歌―
                    澁澤京子

「最大の暴力は(考える)ことをせずに素直に指示に従ってしまう一般人によって行われる」~ハンナ・アレント

「人々を戦争に同意させるのはいつも簡単なことだ、単に我々は攻撃されたんだといいふらし、平和主義者たちを危機感のない愛国心を欠いた卑怯者と言って貶めればいい。」~ヘルマン・ゲーリング

これを書いている今はバイデンの勝利宣言。トランプ政権が消えることにホッとしている。バイデンは中国については穏健派。中国脅威論にはかなりうんざりしていたけど、これで少し落ち着くだろうか。なによりもトランプよりまともな人間に代わったのはうれしい。もっとも、トランプにはかなり確信犯的なところがあったけど、我が国の総理には自分の嘘もごまかしているという自覚すらもなかったのでは?自殺した職員の問題にしても、あくまで自殺した本人のせいと責任転嫁できるようなおめでたい性格なのだろうか・・

トランプが私利私欲にまみれた男だったことが取沙汰されているけど、この人にとってそもそもアメリカ国家は私利私欲の拡大された巨大なファミリーみたいなものだったのだと思う。だからこの人の人種差別とか、国境に巨大な壁を建設するとか当然の行為なのであって、外敵から常にファミリーを守ろうとするマフィアのボスのようなもの。保守的な家族主義と、ツィッターなどメディアを最大限に利用するのがトランプ。ファミリーの強いボスを支持する人々が好むのは「仮想敵」のようなわかりやすい悪なのであって、安易に陰謀論にも飛びつくし、「善と悪の戦い」なんかも好む。

要するに、仮想敵、陰謀論、善と悪の戦いの好きな素朴な人はプロパガンダに巻き込まれやすいのだ。

「人類皆兄弟」(故・笹川良一)のような自己愛と家族愛の拡大されたようなスローガンがちっとも現実的ではないのは、そこには(他者)の存在が欠如しているからだ。大東亜共栄圏構想が失敗したのもこの「人類皆同じ」からくる一方的な押し付けと他者感覚の欠如にあったのじゃないだろうか。

相対主義には弊害がある、何が正しくて何が正しくないかがわからなければ、「金儲けして何が悪い」のトランプの様なただの貪欲な人間が『正直者』として賞賛されてしまう、それは「人それぞれ」であるし、自己利益というのはイデオロギーより、誰でもわかりやすい欲望だからだ。また、インターネットが私たちに無関心であるように、「人それぞれ」の価値観の細分化は自分と違う他人に対しては全く無関心であるか、あるいは価値観を同じくする閉鎖的な小さなコミュニティーをたくさん生み出す、内向きの社会。人は自分と違う人間に出会って小さなプライドが傷つくことを恐れるようになる。

SNSは価値の多様性と共存よりもむしろ逆に、人々の分断とファシズムを招いたのじゃないだろうか。最初はSNSでの罵詈雑言が広がってヘイトスピーチとして巷で市民権を得たように、嘘や根拠のない噂が拡散されることに人々が鈍感になった。バーチャルとリアルの区別がつかない人間が増えれば詐欺師が跋扈したり、プロタガンバが流されるのは容易なのであって、さらに情報過多の状況は人の思考力を奪い、嘘や流言に流されやすい人々が増産されることにもなる、また最近、脊髄反射のように反応して人にレッテルを貼りたがる人が多くなってきたのは、短絡的な思考の人間が増えてきたからだろう。

SNSの登場によって人はひとりでじっくり物事を考える時間が逆に減った。人と本当に関わっていくためには、一人でいる孤独な時間は必要なのではないだろうか?

私も人の事は言えないけど、SNSなどでコミュニケーションの方法が簡単になった分だけ、同時に言葉も軽くなったような気がする。中身のない空虚な言葉が飛び交い、人とのつながりが薄っぺらになっていくような感じ。

安全な室内で椅子に腰かけたままのボタン操作で多くの人間を殺傷できる無人爆撃機が飛び、ますます現実とバーチャルの区別のない時代。

私たちは別にマトリックスの世界に住んでいるわけではなく、客観的な現実というものがある。現実に爆撃されて殺される一人一人はかけがえのない個人なのであって、それぞれには愛する家族や恋人、友人がいるのだ・・・

「・・そうやっていったん犯罪者になると何度も何度も法律を破ることになった。父親のピストルを箪笥の引き出しから持ち出し、それを身に着けて町中を歩き回り、空き地で実弾の試し打ちをした。」   『結婚式のメンバー』カーソン・マッカラーズ

「われわれの政府が第三世界―そこにはアメリカの多国籍企業が切望してやまない資源があるーの人々から、そうしたものを奪っているため、アメリカは憎まれている。アメリカがまいてきた憎悪と言う種子は、テロリズムという形で戻ってきて、我々から離れようとしない。」~ロバート・ボーマン(元空軍将校)アフリカでのアメリカ大使館へのテロ攻撃での発言

学生の時、友人と貧乏旅行で東南アジアを歩き、フィリピン、セブ島でダイヴィングしていたことがあった。やはりバックパッカーで中国からやってきたDというアメリカの学生と仲良くなって、彼はエール大学の学生だった。

「君のお父さんは何してるの?」という質問に、父はテレビ局で仕事をしていると答えると「ああ、君のお父さんはテレビ局のオーナーなんだね!」と明るい笑顔が帰ってきて、あわてて訂正しました。エール大学ってお坊ちゃん、お嬢さんが多いんだろうなあ・・

昼間はダイヴィングにウィンドサーフィンと楽しく遊び、夜になると学生らしい真面目な話をすることが多かった。

ある晩、「ディアハンターを観た?」と聞かれた。ちょうどその頃、『ディアハンター』が話題になっていたのだ。私は友人に薦められて観たばかり、あの映画を観た人はご存じと思うが、最後のロシアンルーレットの場面が強烈。(ベトナム戦争のトラウマを描いた映画)

Dはあの映画を観てしばらく落ち込んだという、戦争はアメリカ人にとってうしろめたく、ずっと背負っていかなくてはいけない十字架のようなものなのだと言う。君はどう思う?と聞かれ、私はとても重い映画だったと答えた。「なぜ?」と聞かれ、その頃の私は沖縄に関心があったので加害国の後ろめたさというのは分かる、ただ日本には徴兵制がないので戦争のリアルはわからないというような事を話したのを覚えている。日本はアメリカよりもずっと戦争のリアルがわからなくなっている状況なのだ…もっと突っ込んだ話をしたかったけど、哀しいかな、私の乏しい英語力では難しかった。今、これを書いているのは、あの時Dにうまく説明できなかった日本人から見た戦争のリアルの「重さ」の説明の続きなのかもしれない。

やはりバックパッカーで旅行していたとき、中東で知り合ったバクダッド大学の学生から、日本は徴兵制がないので羨ましい、という事を言われたこともあった。(イラク戦争前)

学生の時の貧乏旅行でいろいろな国の学生と出合って政治やいろいろな話ができたのは、私には宝物のような貴重な体験。彼等との会話がどれだけ私にとっての「考える」きっかけになったことだろう?そしてどこの国の学生も政治や社会に対してとても熱心で真面目な関心を持っていた。

『ディアハンター』は、ベトナム側の立場や痛みを考慮していないといろいろ批判はある、しかし、Dのように後ろめたさとして受け止める良心的なアメリカ人は恐らく少なくないだろう。後ろめたさの向こうにあるのは、ベトナム戦争という重い出来事。それはたとえ過去のものであっても、現実の戦争というものは重い。銃社会で人種差別、経済格差など様々な問題を抱えているアメリカ。

もちろん日本もアメリカと同様に様々な問題を抱えている、たとえば差別でもアメリカほど表面に出てこない分だけ陰湿なような気がする。ベトナム実習生やアジア系の人間に対する隠れたいじめや差別。以前、クリーニング店で接客の仕事をしていたら、若い男の客にいきなり「アンタ、中国人か?」と言われたことがあった。「だから、どうなんですか?」と答えるとますますいきり立った若い男は私を中国人!バカ!と罵倒。店にいた他の女性客が見かねて私に加勢してくれて男は店から出て行った。普段、コンビニなどで働いているアジア系の学生はこういった差別発言でどんなに嫌な思いをしていることだろう。ベトナム人実習生に関しては耳をふさぎたくなるような悲惨ないじめや差別の話が多い。鬱屈した劣等感を抱えた日本人が、自分より弱い立場にいる中国や韓国アジア系を敵視し、馬鹿にしたり罵倒したりいじめたりすることでウサを晴らしているのだろう・・

日清戦争勝利後から日本人は中国人を見下すようになったらしい。~『中国人の生活風景』内山完造

(中国を擁護することを言ったり書いたりすると、すぐに共産主義者のようなレッテルを貼られることが多いけど、私は強いて言うとリベラルです)

アメリカ大陸でのインディアン虐殺、略奪も黒人奴隷の問題もコロンブスの大陸発見から始まることを考えると、侵略と人種差別はセットになってはじまるのかもしれない。

ハワード・ジンの『学校では教えてくれないアメリカの歴史』を読むと、コロンブスの入植後からすでに貧富の格差ははじまったというから、アメリカ型自由経済のベースには植民地での暴力と差別と搾取があるのであって、資本主義と貧富の格差、そして差別、それらは切っても切り離せない関係にあるのだろう。

しかし、アメリカには『市民的不服従』を書いたソローがいる、ルーズベルトを批判したマーク・トウェインがいる、イラク戦争を終始一貫して批判し続けたのはチョムスキーだった。孤立しようが嫌がらせを受けようが、おかしいことはおかしいとはっきり主張したきわめてまともな人たち。

お上のなさることに間違いはありますまいといわんばかりに政府に従順で、靖国神社に参拝することだけが愛国心ではないし、従順さは時には自分の首を絞めることにもなりかねない。愛国心にもいろいろなバリエーションがあってもいいだろう。

あまりにも戦争の現実を知らない日本人。現実というものは重い。重くて、そしてとても脆くてはかないものなのだ。私はバーチャルと現実を安易に混同する人間が増えていることに何だか危機感を感じている。

1969年、ウッドストック。ジミ・ヘンドリックスの解釈したアメリカ国歌は素晴らしい。(当時、ベトナム戦争)こういうアーティストが出てくるところに、アメリカ文化の豊かさと自由、懐の深さというものを感じる。

アメリカという国は時にとんでもない戦争を始めてしまう、しかし、個人の自由と民主主義の健全な自浄能力を持っているのは何といってもうらやましい、民主主義は市民一人一人によって支えられているのだから。





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