SSブログ

日本の原風景を読む №13 [文化としての「環境日本学」]

断崖に架かる神 - 石廊崎

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

温泉好きの神々
「東ノワキニ相模国、西ハ駿河国、其ノ中間ヨリ豆州ハ遥カニ海中へサシ出タル山サキニテ有ルナリ、故二出ノ国州卜云フ」(伊豆の地誌『豆州志稿』)。
 天城山脈を背負い、黒潮の海に横たわる伊豆半島は、冬も光と暖かさにあふれ、かじかんだ心を解き放ってくれる。
 紺青の黒潮がうねる相模灘沿いに熱海、網代、伊東、熱川、片瀬、稲取、今井浜と名湯が連なる。『豆州志稿』はますます楽しげに記す。「伊豆ノ御山二出湯アリ、伊豆ノ権現ハ此ノ国ノ鎮守ニテ、此ノ神ハ湯ヲ愛シ、不断湯ノ上ヲ走り遊ビ給へルナリ」。
 大和葛木山に住む呪術者役小角(えんのおずぬ)は、その強力な呪術が社会の秩序を乱すと朝廷に恐れられ、六六九年、伊豆に流された(『続日本紀』)。神道と仏教を習合し、山岳信仰に発する修験道の祖である。役小角はこの地で自由自在に空を飛び、海を渡って富士山へ往復したと伝えられる。『日本霊異記』『今昔物語』にも登場する、民衆のヒーローであった。
 諸々の神の化身とされる権現様と肩を並べて湯につかる。歴史へのそのような追憶も伊豆ならではのおおらかなロマンであろう。
 石廊崎に立てば、黒潮の流れの激しさとうねりの大きさが実感されてくる。眼下に連なる断崖の岩礁は絶えず波浪に噛まれ、高々と波しぶきを上げ続ける。海面下に隠れた岩礁が多く、航海者が最も警戒する難所である。

荒ぶる海神
 石廊崎灯台に近い断崖から、吊り下がらんばかりに石室神社がせり出して建つ。七〇一(大宝元)年に創立され、延喜式神名帳に「伊波例命」として名を連ねている。伊豆に流された修験道の祖、役小角が、この断崖で修行中、一条の金色の光が流れ、耳元で囁く声が。「この岬は実に難所だ。吾をまつって守護を受けよ」。これをご神託と感じ、十一面観音を合祀して石室神社に祭ったという。
 神社の本殿と拝殿の土台に使われている長さ約一六メートルの檜の柱は、伊豆の七不思議「千石船の帆柱」である。
 明治以前、参道がまだ細く険しい山道だった頃から柱は神前に横たわっていた。
 その昔、江戸へ向かう播州の千石船がこの沖で大嵐に襲われた。船頭が転覆寸前の船上から目に見えぬ対岸の石室神社に、船の命である帆柱の奉納とひきかえに助けてもらえるよう一心に誓願すると波は静まり、船は無事に江戸へ着くことが出来た。
 帰路、往路の誓願を忘れた船がこの沖を通り過ぎようとしたが、船は一向に進まず次第に暴風雨となった。船頭は往路の誓願を思い出し、総がかりで帆柱を切り倒して海に投じると、帆柱は荒れ狂う大波に乗り、まるで供えられたかのように神前に打ち上げられ、同時に海も静まったという(「石室神社御由緒」)。嵐を招いたのは石廊崎にこもり、鬼神を使役することが出来た、と伝えられる役行者の報復めく仕業であったのかもしれない。
 石廊崎から日の出と日の入りをともに見ることができ、丸い地球を実感させられる。強風の海際に一四基の大型発電風車がつらなり、直下にキンメダイやアワビの増殖をはかる水産資源の研究所が。そして、環境庁が選んだ全国星空百選の夜も訪れる。自然エネルギーと資源を管理する漁業へ、持続可能な社会への景観が鮮やかに描かれている。

キンメダイの湘
 東伊豆稲取産のキンメダイは、日本一美味しいと評判だ。姿煮、シャブシャブ、焼き物によし。旅館料理はアワビ、サザエを脇役にキンメダイが主役をつとめる。漁場は港から一三キロの伊豆大島との中間点、水深二五〇メートル前後、海底が台形に盛り上がり、その岩棚に生息しているソコチヒロエビをキンメダイは主食にしている。他にホタルイカ、ハダカイワシも餌に。
 キンメダイは天性の美食家、体形はメタボ気味だ。乱獲を防ぐため底縦縄漁法に限られる。六〇メートルの幹糸に、二メートル間隔で道糸を付け、三〇本の釣り針を仕掛けた変形のはえ縄漁法だ。釣りの仕掛けは各舟二本まで。操業は朝六時から午後三時までに限られる。

巨石に刻まれた歴史
 皇居をめぐるお堀の石垣の整然と積み上げられた巨大な角石の多くは、東伊豆の山中から秘術を尽くして切り出され、三千隻もの石舟で江戸へ運ばれた。
 巨石に直列の穴をうがち、樫の木製クサビを大槌で叩きに叩いて打ち込み(殺す)、水をかけコモをかぶせておく。くさびは水を吸って膨張し、一夜で巨岩をパクリと割る(大割り)。石のサイズは百人がかりで運ぶ「百人づけ」から「三百人づけ」まであり、修羅と呼ばれる木造のソリに乗せ、大綱をまわして人力で港へ引き出した。修羅と地面がこすれ、煙と歓声があがったという。
 市役所のまわりの街角、稲取港、稲取駅前に巨石群とその採取、運搬に肝いられた道具類が展示されている。かって行われていたイルカ漁の「鯨霊供養塔」(六二七年建立)碑も鎮座している。
 怪人役小角、源氏の棟梁頼朝、法難の日蓮上人が活躍した伊豆。西国の大名が総動員され、江戸城石垣づくりの矢面に立たされた伊豆。海(開放性)と山(閉鎖性)の狭間で培われたその波乱の歴史が伊豆半島の到るところに刻まれ、生々しく今に伝わる。

≪コラム≫ 舟霊を祭る
 黒潮と北からの海流が渦巻き、冬は西風が強い伊豆の海。漁師はしばしば守護神の離禦救いを求める事態に。キンメ漁師鈴木清さんは操舵室に船霊を祭り、毎月一日と十五日におみきをあげる
「ご神体は髪の毛、人形、銭、五穀類など様々だな」と明かす。恵みと畏れと、自然の素顔を知る漁師たちは信仰心があつい。
 鈴木さん一家は、年明けに箱根の名刺大雄山最乗寺に詣でる。護摩をたいてご本尊(道了尊)に祈祈りをささげ、御礼を受ける。
 最乗寺は箱根火山外輪の明神ケ岳山頂近く(三二五メートル)にある。何故漁船が山から舟霊を迎えるのだろうか。
 「家(港)へ帰り着くにも、漁場を見つけるにも、山の位置で見当をつける。漁師にとって山は神様だから」(鈴木さん)。稲取の海に面した山々に竜宮神社、恵比須神社など至る所に神社や詞を祭る。
 自然への親密感(アニミズム)とおそれ(マナイズム)に重ねるように、日本文化の底を流れ続ける仏教の自然観(山川草木悉皆成仏)がこれらの神域にこめられている。

『日本の原風景を読む~危機の時代に』 藤原書店


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。