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批判的に読み解く歎異抄 №16 [心の小径]

本願ぼこり(造恵無碍・第十三条)の問題 

          立川市光西寺住職  寿台順誠

(おわりに)‥宗教と倫理道徳

 最後に、『歎異抄』後序に「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり」(本願寺派『浄土真宗聖典』853ページ‥大谷派『真宗聖典』640ページ)とありますが、宗教はこんな具合にすぐに倫理道徳の世界を超越してしまってよいんですか、という問いを出しておきたいと思います。そこで暁烏敏の関連する言葉を挙げてみます。

 親鸞聖人の精神よりいえば…世の人が善いということも、そらごとたわごとである、悪いということもそらごとたわごと、善根もそらごとたわごと、悪業もそらごとたわごと、法律もそらごとたわごと、道徳もそらごとたわごと、国家もそらごとたわごと、家庭もそらごとたわごと、他人もそらごとたわごと、自分もそらごとたわごと、世のすべて、自己の全体、どこをさがして見てもそらごとならざるはなくたわごとならざるはなく、偽りならざるはなく、ひとつとして誠はない、ひとつとしてあてにすべきところはない。この間にあってただ一つあてになるものは如来のお慈悲である。…この真実の御力を信じ御光に照らされていったならば、ぬすむ者でも、殺す者でも、火つけする者でも、酒を呑む者でも、姦淫する者でも、徳者でも、仁者でも、悪人でも、愚人でも、ことごとく仏の真実にたよって大安心ができるということをていねいに教示したのがこの『歎異抄』である。((暁烏敏『欺異抄講話』講談社、1981年、35頁)「ぬすむ者でも、殺す者でも、火つけする者でも」、みな救われちゃうんです。よいんですか、これで。「悪人正機」(悪人正因)と言われてきたものがこういうところに帰結するのであるならば、完璧に否定すべきだと私は思います。「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり」という形で善悪の観念を無化してしまうところに帰結するんだとすれば、やっぱりすごく問題なんじゃないでしょうか。これが『欺異抄』というテキストの持つ根本的な問題だと私は思うのです。

 今日最初に住職が「『欺異抄』よりもやっぱり『御文』の方が伝播(でんば)してるんじゃないか」と言われましたが、私も実はそう思っています。今日、こちらに来る前に少し時間がありましたので、私は冒頭申しましたような気分で「前前前世」の世界に少し浸ってみたいと思い久しぶりに一色の街を歩いてみて、ちょっと物悲しい感じがしました。むかし自分が生まれ育った境の活気のあった街が、段々なくなってゆくのは本当に悲しいことです。そんな中でどうやって改めて仏教を広めていくのか、どうやって浄土真宗を復興するのかが我々の共通の課題だと思います。そう思う時、かって漁師町として栄えたこの下之一色で想い起こすのは、『歎異抄』ではなくて『御文』なんです。特に「猟、すなどりの御文」を想い起こします。

 まず、当流の安心のおもむきは、あながちに、わがこころのわろきをも、また、妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよというにもあらず。ただあきないをもし、奉公をもせよ、猟、すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどいぬるわれらごときのいたずらものを、たすけんとちかいまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもうこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあずかるものなり。(本願寺派『浄土真宗聖典』1086―1087ページ、大谷派『真宗聖典』762ページ)

 これは、かつて漁師町だったこの下之一色で、我々が小さい頃から寝物語のようにして聞かされた御文です。私が物心ついた時はもう漁もできなくなっていましたが、それでもまだ現役の漁師だった人たちの雰囲気が強く漂う中、この下之一色でどうして浄土真宗が栄えたか、真宗の教えが伝播したかということの説明に、よくこの「猟、すなどりの御文」が使われていたことを記憶しています。生き物、つまり魚を獲って殺すのが自分たちの仕事だってことと、それから船に乗って海に出て行くと、「船底一枚、下は地獄」という危険の伴う中で生きてきた人たちが頼るべきは念仏の教えだった、ということを如実に表しているのが、この「漁、すなどりの御文」だったというわけです。

 最後に同朋会運動の一つの問題を取り上げておくとすれば、この運動には『『歎異抄』を持ち上げて『御文』を低く見るというところがありました。『『歎異抄』は素晴らしいから聞けって形で、上から教えをインプットしようとしたきらいがあったんじゃないかと思います。しかし、浄土真宗は現実には『御文』に表現されたような、生活の中での教えとして伝承され栄えてきたという面があったのではないかと思います。そんなことを一つ問題提起して、大体の時間ですからこれで終わらせていただき、続きは次回にしたいと思います。ややこしい話を最後までお聞き頂きましたどうも有難うございました。   合掌

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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