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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №45 [文芸美術の森]

                       葛飾北斎≪富嶽三十六景≫シリーズ

                          美術ジャーナリスト 斎藤陽一
 
                         第11回 「甲州三島越」

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≪画面を分断する巨大な木≫

 北斎の大胆で斬新な造形感覚を示す浮世絵は、印象派をはじめとする西洋近代の芸術家たちを驚嘆させました 例えば、「富嶽三十六景」中のこの絵「甲州三島越(こうしゅうみしまごえ)」もそのひとつです。

 「三島越え」というのは、甲州、現在の山梨県富士吉田市から、山中湖付近を通って籠坂峠を越え、御殿場、三島方面に抜ける道のこと。

 北斎が描いたのは、峠を登り切ったところのようです。険しい山道を登って来た旅人たちはひと休みしているのでしょう、ある者は腰を下ろして煙管で煙草を吸い、別の三人は、巨木の太さを測ろうと両手を広げている。その右側には、休み終えて峠を下っていく人たちの姿も見えます。

45-2.jpg この絵の見どころは、何と言っても、画面の中央に、巨木を大きく配した奇抜な構図です。

この巨木は、画面を二つに分断しているだけでなく、富士山の裾野をも大胆に切断しています。

 あまりの大きさに驚嘆した旅人たちが、手をつないでその太さを測ろうとしているのですが、3人ではとても間に合いそうもない大きさです。

 近代までの西洋絵画の伝統では、画面の真ん中に大木を描き、画面を二分してしまうというような描き方はほとんど見られませんでした。画面に樹木を描く時には、大方は、遠近法のひとつの要素として扱い、左右のどちらかに寄せて、全体の調和を損なわないように程良く配されることが多かったのです。

“「秩序と調和」を基本理念として「理想美」を追求する”ことを絶対的な規範とした古典主義美学に立つ西洋の美術学校では、こんな大胆奇抜な構図は、「お行儀の悪い乱暴な絵」として、教授に叱られてしまったことでしょう。

 それだからこそ、そのようなアカデミックな古典主義美学に反発する、印象派などの若い芸術家たちは、こんな北斎の絵を見てその大胆さに驚嘆しただけでなく、その斬新さと力強さに感銘し、自分たちがめざす新しい絵画への啓示を感じ取ったのです。

≪ゴーギャン「説教のあとの幻影」≫

 ひとつ、ポスト印象派の画家ゴーギャンの例を示しましょう。
 下図は、ゴーギャンが1888年、43歳の時に描いた「説教のあとの幻影」という作品です。

 若い頃のゴーギャンは株式仲買人をしており、結構羽振りが良かったので、印象派の絵を買ったり、その影響を受けて浮世絵を収集したりしていました。そのかたわら、印象派の長老ピサロらに導かれて「日曜画家」として絵を描き始めました。ところが35歳の時、株式仲買という安定した職を捨てて本職の「画家になる」と宣言したのです。

 ゴーギャンがその初期に描いていたのは、印象派風の絵でした。しかし、本来、彼の中には幻想的な資質が内在していたのでしょう、やがて、「目の前の印象を描く」だけの絵に飽き足らなくなり、印象主義と訣別して、象徴主義的な絵画をめざすようになります。

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  ここに掲げた「説教のあとの幻影」という絵は、当時ゴーギャンが住んでいたブルターニュ地方の素朴で瞑想的な精神風土から触発されて、彼が印象主義と訣別し、「象徴主義」への第一歩を踏み出した作品です。(ゴーギャン自身は、“目に映る外界の事物と自分の内面に起こるイメージを総合する”という意味から、自分のめざす絵画の理念を「総合主義」と呼んでいました。)

 この絵では、日曜日に教会に行き、神父さんの説教を聴いたあとでしょうか、ブルターニュの伝統的な衣装を身に着けた農家の女たちと、旧約聖書の「天使とヤコブの格闘」の物語とが、同一画面に描かれています。

 おそらくこの日の神父の説教では、旧約聖書に記された“イスラエル12部族の祖となるヤコブと、彼の不屈の精神を試す天使との格闘”の物語が引用されたのでしょう。しかし、古くからの素朴な信仰を持つ農婦たちにとって、旧約聖書の物語は単なる絵空事ではありません。神父が語った物語は、教会を出た彼女たちの心の中に、真実のイメージとして残っているのです。そのイメージが、斜めの対角線状に置かれた大きな木を境にして、画面の右上に「天使とヤコブの格闘」として描かれているのです。

 言い換えれば、大木の左下は「現実の世界」、右上は「想像の世界」であり、大木を境界線にして、画面には「現実」と「想像」が「総合」され、ゴーギャンがブルターニュの風土から感じとったものが象徴的に表現されています。これが彼の言う「総合主義」です。

 象徴主義への試行とも言うべきこの絵の中で、重要な役割を果たしているのが、画面を対角線でふたつに分断す45-4.jpgる大きな木です。おそらくゴーギャンは、この大胆な構図を、北斎から学んだ、と推察されます。

 ゴーギャンは、他の印象派の画家同様、熱烈な浮世絵愛好者でした。ゴーギャンが生み出した作品の中には、日本美術から触発された絵がたくさんあります。

 ゴーギャンは、とりわけ北斎を高く評価しました。北斎のデッサン集とも言うべき「北斎漫画」を熱愛し、「北斎のデッサン力はミケランジェロを超える」とまで言っています。
 「説教のあとの幻影」の絵の中の“天使とヤコブの格闘”のポーズは、「北斎漫画」の中の「力士の取り組み」集からヒントを得ている、とも言われます。

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 ゴーギャンについてやや語り過ぎたようですが、これまでたびたび指摘してきたように、ゴーギャンのみならず、印象派の画家たちに北斎が与えた影響には大きなものがありました。

 次回から数回にわたって、北斎のそのような絵を「富嶽三十六景」中からいくつか選んで紹介します。

                                                              




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