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浜田山通信 №276 [雑木林の四季]

「また逢う日まで」

               ジャーナリスト  野村勝美

 タン、タン、タ、タタン、タ、ターン、調子のいい前奏で始まる「また逢う日まで」は、尾崎紀世彦の低音の魅力とともに、私の歌謡曲史のナンバーワンだ。(女性なら中島みゆきの「歌姫」。)二人でドアをしめて、二人で名前消して、その時二人は何かを語るでしょう―、あんなに熱心に口にしていた歌詞も50年も経つともう忘れているが、ちょうどこの曲が爆発的に流行した少し前、自動車の免許をとり、カローラを買った私は、休日になると家族を乗せて郊外へ出かけた。静岡の海岸通りを走るとき、自分も歌っていると実にいい気分になったものだ。
 この曲を作った作曲家が筒美京平さんという人だということを知ったのは10月13日付の新聞による。いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」、麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」、庄野真代「飛んでイスタンブール」、近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」、各年の代表作の一覧表がずらっと並んでいた。生涯で産み出した曲は3000曲にのぼるそうだ。71年から87年にかけて作曲家別年間レコード売り上げ1位を10回記録、作曲作品の総売り上げ枚数は7560万枚、もちろん日本の歴代作曲家のトップだ。
 私は筒美京平という人を全く知らなかった。亡くなったのは一週間前の10月7日、家族葬を済ませたあと、死亡が発表された。要するに人前に出るのが苦手だった。人前に出るというのは、人前で何かを話すこと。私は中学の頃、剣道の教師に目から火花が出るくらい殴られて以来、人前で話をしたり、目立つような振る舞いをしなくなった。筒美京平さんも若い頃、私と同じような体験をしたのかもしれない。いまでは総理大臣の演説でもプロンプターを見ながらだから緊張などないだろう。それだけ聴衆の方はつまらない。 筒美さんは80歳だから私より一回り近く若い。死因は誤嚥性肺炎とあった。私も誤嚥性が気になりだしたのが80斎前後だったのではなかろうか。この事故は、私の現役時代からあって、何人か有名人が亡くなっている。気管がつまってしまうのだから息が出来なくなりものすごく苦しい。 肺に達すれば肺炎を起こし手がつけられない。
 私は毎日、朝昼晩の食前食後に26種類の薬を飲んでいる。。1回に3錠ずつ、2回に分けて飲む。薬の形が丸いのや細長いのやがあり、おまけに大小さまざまだ。のどをスムースに通らせようとして一気に飲み込むが、小粒のほうが入れ歯と歯茎の間に残ってしまう。毎日命がけ。
 筒美さんが亡くなってから20日間も過ぎたのに、10月29日発売の「週刊文春」は相棒の作詞家松本隆氏が語る追悼グラビア特集を組んでいた。若かりし頃の太田裕美、斉藤由貴、松田聖子らの写真も載っていたが、松田聖子のナンバーは1曲もない。すでに完成しているといって興味を示さなかったそうだ。それにしても近頃70代で亡くなる物書きが多い。十分気をつけてください。

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