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日本の原風景を読む №12 [文化としての「環境日本学」]

海 3

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

野口雨晴を想う

  シャボン玉 とんだ
  屋根まで とんだ
  屋根まで  とんで
  こわれて消えた

 雨情とシャボン玉を飛ばす少年の像を前に「シャボン玉」(中山晋平作曲、大正十一年)を合唱するツアーの人々に、シャボン玉が陽にきらめきながら降りそそぎ曲が流れる。野口雨情記念館は、六角堂から陸前浜街道を南へ約一六キロ、磯原温泉の浜辺にある。

  赤い靴 はいてた 女の子
  異人さんに 連れられて
  行っちゃった  (本居長世作曲、大正二年)

 「一番人気は赤い靴です。詩に秘められた実在の少女の悲しみを知り、皆さん雨情の詩を口ずさみ、合唱になり、立ち去り難いようです」(館員・松川美佐さん)。
 「シャボン玉」も「赤い靴」も幼くして亡くなった悲運の子どもたちへの切ない挽歌である。
 「雨降りお月さん」、「兎のダンス」、「七つの子」、「霞城寺の狸嚇子」、「波浮の港」、それに「船頭小唄」。雨情はこの土地随一の名家に生まれ、坪内造遥に学び「早稲田詩社」に参加、北原白秋、西城八十と共に、「三大道央詩人」と潤えられる。生家の没落とともに波乱の人生をたどった「野口雨情物語」を、野口雨情生家・資料館がくまなく紹介している。波打ち際から三〇〇メートル、雨情は松林をめぐらせた生家の二階から海を、天妃山から五浦岬への風景を眺めて作詩に励んだ。

    萄黍畑(もろこしばたけ)
  お背戸の親なし
  はね釣瓶(つるべ)
  海山(うみやま)千里に
  風が吹く
  萄黍畑も
  日が暮れた
  鶏 さがしに
  往かないか

 童話作家の浜田広介はこの詩を「日本詩歌の絶唱」と評し、深い共感を寄せた。

 ―雨情は晩秋の農村農家のおもむきと、人の世にある、まぬがれたい運命の人間像とを、短章にして刻んだのである。感傷もなく、説明もなく、作者の自然によせる郷愁と、人間に向かって送る同情とが、なんと深く、えらびだされたことばのうえにすえつけられたことであろうか。

 「こうして土の上にしっかり踏ん張り、土の上で仕事がしたい。文明が進んでしまって、どっちを見ても、ビルやコンクリートぽっかりでやんす。私ら人間が自然と仲良くできるところもほんの少しになってしまいやんした。今しみじみとやさしく包んでくれるのは、この土の香りの大地だけでやんす。私の歌もこの土の香りいっぱいの、ふるさとの自然の中から生まれたんでやんすよ」(「萄黍畑」への雨情のコメント、大正九年)。

 自らの原風景への痛切な回想なのであろう。
 市立精華小では生徒たちが企画して「雨情をしのぶ週間」を毎年開催している。合唱、ダンス、紙芝居、絵など全校生徒が参加し故郷を深く愛した雨情の心をしのぶ。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に」


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