祖道傳東Ⅱ №28 [文芸美術の森]
第二十八図 「下向鎌倉」
画 傅 益瑤・文 曹洞宗大本山永平寺
《紙本墨画彩色》 九〇×一二五 軸装
永平寺が建立されて二年目の春、道元禅師は鎌倉に下向いたします。
宝治の合戦で三浦一族を打ち破った北条時頼が、鎌倉幕府の最高権力を握った、その執権時頼の招請による鎌倉への下向でした。
時頼は、たび重なる戦からの精神的な不安と苦悩からの救いを道元禅師に求めての、招請でありました。このとき道元禅師四千八歳、時頼二十一歳です。
鎌倉に留まって、と言う時頼からの再三の懇請を、道元禅師は「越前の檀那俗弟子の為に」といって、鎌倉を後にいたします。
「衛兵廣錄」には、道元禅師が「山をさること半年ばかり、それはちょうどひとりぼっちの月が大空に懸かっているようでした。山に帰ってみると、雲に喜びの表情が感じられます。この山を愛する気持ちは、初めより一層強くなりました」と、当時の心境を書き残しています。
如浄禅師の「権力者の国王大臣には近づかず」という教えが、道元禅師の毅然とした表情に描かれています。
『祖道傳東』大本山永平寺
2020-10-13 09:29
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