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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №44 [文芸美術の森]

                         葛飾北斎≪府学三十六景≫シリーズ

                           美術ジャーナリスト 斎藤陽一

                      第10回 「隅田川関屋の里」

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≪すわ、お家の一大事!≫

 前回にご紹介した作品「駿州江尻」が「瞬間的に起こった風の表現」とすると、今回紹介する「隅田川関屋の里」は、「スピード感」への挑戦です。

「関屋の里」は、現在の足立区千住曙町あたり、京成関屋駅・牛田駅周辺の一帯。今では住宅がびっしりと立ち並ぶところですが、当時は、遠くに富士山を望む田園情緒豊かな村里だったようです。

 この絵でも、人家は見あたらず、一面の田圃が広がる中、江戸へと続く街道を疾走する三騎の武士たちを描いています。はるか遠くに、朝日を受けて赤く染まる「朝焼けの富士」が姿を見せていますので、武士たちは江戸の東の方角にある藩から、夜通し、早打ちで馬を走らせてきたのでしょう。もしかすると、国元で重大な異変が起こり、一刻も早く江戸の藩邸に知らせるべく使わされた使者かもしれません。緊迫した雰囲気が感じられます。

 この絵の面白さは、疾走する三騎の人馬の表現です。

 画面手前の2騎は、ほとんど同じ大きさとポーズに描かれていますが、先頭を行く1騎は蛇行する道に沿って逆向きに小さく描かれています。これによって、画面に変化と奥行きがもたらされ、街道の先にある江戸への方向性が示されています。

 それだけではありません。先頭の1騎は、後の2騎と大きさや向きは異なっていても、よく見ると、3騎とも「相似形」のように同じ形に似せて描かれていますね。これは、北斎が仕掛けたトリックかも知れません。

 実は、国元から江戸藩邸に使わされた侍は1騎のみ、その1騎の全速力の「スピード感」を表わすために、「相似形」のような人馬を三つ描いたのかも知れません。ひとつの物体の形を、少しずつずらしながらいくつも描くことによって瞬間的な移動やスピード感を表わすという手法は、現代のアニメなどでよく使われる画法です。その先駆的表現として見ると面白いですね。

 田圃にたなびく「すやり霞」は朝(あさ)朝靄(もや)靄を表わすのでしょうが、手前の2騎の向こうにすっと細く描かれた「すやり霞」は、人馬のスピード感を背後からさりげなく強める役割を果たしているようにも見えます。

 ちなみに「すやり霞」というのは、絵巻や屏風絵、工芸など、あらゆるジャンルの日本美術によく見られる画法です。「素槍(すやり)」は真っすぐな槍のことで、横にたなびく霞の表現がそのように見えることから「すやり霞」と呼ばれます。

44-2.jpg 日本絵画にしばしば描かれる「すやり霞」は、余計なものを隠して主要なものだけを強調したり、空間の奥行きを暗示したり、場面を転換させたり、時間の経過を示したりするなど、多くの効果を表現する技法。いかにも湿潤な日本の風土の中から生まれた技法とも言えます。

ご参考までに、右に、鎌倉時代に描かれた「春日権現験記絵巻」(宮内庁所蔵)を例示しておきます。

 それにしても、北斎描く「隅田川関屋の里」には、国元の異変を知らせるために懸命に馬を走らせる使者を描き、「何事が起ったのか?」と思わせる緊迫したドラマが暗示されていますね。

 この絵を見て私が連想するのは、与謝蕪村の次の句です。

      鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな    蕪村

 鳥羽殿とは、白河、鳥羽上皇が造営した離宮のこと。今しも、台風のような凄まじい風(野分)が吹きつのる中、武装した武者たちが5,6騎、鳥羽離宮をめざして疾駆していく、という緊迫感ある情景をイメージさせる句です。

 蕪村は江戸中期の俳人であり、北斎より半世紀ほど前の人なのですが、画家でもあった蕪村の句には、一読、絵画的世界が思い描けるようなものが多々あります。

 この句からも、いにしえの「保元・平治の乱」を描いた絵巻物を見るような趣きを感じます。

 次回の「富嶽三十六景」シリーズでは、「甲州三島越」を紹介します。

                                                             


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