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バルタンの呟き №83 [雑木林の四季]

「永らえば・・・」

              映画監督  飯島敏弘

 永らえて満八十八歳、昭和7年(西暦1932)生まれ、八十八を米になぞらえて、米寿の祝いということで、円谷プロダクションから、わざわざメーカーに特注したという、一見達磨さん風にも見える、かわいらしいデザインのバルタン星人像が、まるで著名陶芸家の花瓶(かへい)花瓶か壺か、或いは五段重ねの豪華なおせち料理でも、と思わせるような立派な桐箱に収められて、僕、飯島敏宏+千束北男宛に届きました。

 バルタン星人が、西暦1966年7月24日TBSテレビ「ウルトラマン」シリーズ第二話「侵略者を撃て」で、核爆発で母星から避難した宇宙流民?として、当時の未来だった西暦2020年ごろの地球にやってきてから、早くも54年の歳月が流れていったのです。脚本千束北男+監督飯島敏宏、僕が生みの親の一人、ということで、このバルタン星人像が届けられたのですが、当時ウルトラマン、ウルトラセブン、バルタン星人などの誕生に携わった生みの親たちは、今では、黒部進、桜井浩子、毒蝮三太夫、森次晃嗣など俳優の皆さんも含めて、ウルトラのレジェンドと称されている次第です。ウルトラマン、バルタン星人などをデザインした成田亨さん、池谷仙克さんはじめ、円谷一さん、金城哲夫さん、高野宏一さん、実相寺昭雄さん、上原正三さんなどなどの・・・ウルトラの誕生にかかわったレジェンドたちは、すでに、つぎつぎに星になり、宇宙の彼方からこの地球を見下ろしている、というわけです。

 正直のところ、あの頃の設定で、近未来と考えたサイエンス・フィクションの西暦2020年の地球に、まさか、僕自身が存在するとは、まったく想像もしませんでした。すでに星になったレジェンドの皆さんは、日本の現在、地球の現状を見降ろして、どう感じているのでしょう。

 54年前にバルタン星人が誕生した頃は、1964東京オリンピックを実現した時で、日本列島改造、高度成長の呼び声で産み出した、石炭石油産業系、重工業系、化学産業系などの、目に見える公害の真っ盛りでした。国内各地の工場街の煙突からは、もくもくと煙が立ち上って、スモッグと呼ばれ、そこに太陽が照れば光化学スモッグとなり、大気を汚染し、一方、強大なパワーシャベルが、緑豊かな山々を忽ち禿山にして切り崩し、林立するクレーンが、凄まじい勢いで林野を鉄とコンクリートの街へと改造して、核家族化した人々が移り住んでいきました。河川には、家庭排水と競い合って工場排水が流れ込んで、海辺にまでヘドロが広がって・・・
 僕も、その一角の団地に核を築いた家族の一人でした。「ウルトラマン」のスタッフとして、毎日撮影所に通う電車の窓から、鉄橋に差し掛かって見下ろす多摩川の堰堤付近の川面からは、まるで大量のシャボン玉が吹きあがるように、洗剤か溶剤かの生み出す濁った泡が噴き上がって、中空に漂っていたものです。「ウルトラQ」や「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などのシリーズに、経済成長と引き換えにもたらされた公害問題がテーマとして取り上げられた作品が多かったのも、脚本家や監督たちが申し合わせたわけでもなく、ごく自然にそうなったのです。

 そして今日は、あの頃の作品の中で取り上げられたスモッグや、光化学スモッグなどの現象があからさまに表れることは極く稀になり、スモッグが空を覆い、車窓から見下ろす川面が泡立つことも、めったには見られなくなりました。あたかも失われていた自然も蘇ったように、アユやそのほかの川魚も、水鳥も、姿を見せています。
でも、
皆さんがすでに充分ご承知の通り、現在の地球環境は、あの頃より、さらに悪化しているのです。日本からスモッグが消えたのは、単に、中国、ベトナム、その他の東洋の他の地域に物量の大量生産工場が移動したにすぎず、環境整備、浄化技術の進歩を遥かに超えた速さで、相変わらずの石炭依存や、森林伐採、石油化学製品氾濫、CO₂発生に起因した地球温暖化など、などが進行・・・日本の原子力発電では、燃えカスの捨て場さえ、決められないまま貯蔵タンクが増え続けるという有様です。

 人間自身の欲望が産み出してしまった僅か一粒の新型コロナウイルスが、瞬く間にグローバルに広まって、人間世界を危機的状況に追い込む存在になり、人間がそれを制御する術を求めて右往左往するという現在の状況を、あの頃、誰が推測したでしょう。
 観測史上初めてという過激な気象が、世界各地で頻発して甚大な被害をもたらし、穏やかな温帯だった日本も、最早例外では置かれなくなってきました。これも、アンコントロラブルなまま増え続けるCO₂の影響だと言われます。
 日本でも、SDGs(持続可能な開発目標)の声がようやく高まって、産業界が積極的に乗り出すという状況も伝えられますが、果たして、それはすでに手遅れなのでは・・・という悲観論さえ聞こえてきました。

 新型コロナウイルス怖さに、僕は昨日、高齢者優先と聞きつけて、インフルエンザワクチン接種のためにかかりつけの病院に駆け込み、ああ、これでは、院内パンデミックに陥るかもしれないと思うほど満席の待合室で2時間あまり、トイレが我慢できなくなって起ちあがろうとする寸前に、名を呼ばれ、診察室に入ると、すでにアップされている僕の診療記録ディスプレイをパッと見た医師の「ああ、肺炎は大丈夫だね?」「ハイお陰様で・・・」という一瞬の診察の後に、さらに処置室からの呼び出しを待つこと30分、「ちくっとしますよ」臨時の応援とみた若い女医さんから、ワクチンを注射されて「発熱などの副作用があります」という紙を受け取って、一夜を明かし、今、こうして、手元にある、円谷プロから贈られた可愛らしいバルタン星人像を眺めていると、50数年前、スタジオ中に広がった揮発性物質公害にアレルギー反応する鼻炎に苦しみながら、働き方改革くそくらえのスケジュールで撮影していたあの頃のことさえ、懐かしく思い出されるのです。
永らえばまたこの頃やしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき・・・藤原清輔朝臣(ふじわらきよすけあそん) (新古今集)
 今朝は、澄み切った紺碧の空に、きらきらと輝く太陽が・・・
 八十八歳、まだまだ、人類の過剰な経済活動が助長し続ける破壊の生みだす異変と、それが齎した格差に起因する戦乱を鎮める手術(てだて)手術を見出せない、この地球という小さな天体に棲む人類の未来に希望を託している・・・僕なのです。


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