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日めくり汀女俳句 №67 [ことだま五七五]

七月十四日~七月十六日

        俳句  中村汀女・文  中村一枝

七月十四日
あひふれし子の手とりたる門火かな
               『春雪』 門火=秋

 私の母は律義な人だったから、お盆お彼岸といった仏事をこまめにやった。父はまるで
無頓着で、仏壇に手を合わせることなど一生に何度あったことか。
 杉並区和田堀にある中村家の墓の前に立つと、私は舅垂書が亡くなった年の確か新盆の
法要の時のことを思い出す。
 お坊さんのちっとも面白くないお説教にうんざりして上目使いに見回すと、目の前の汀
女が気持ちよさそうにこっくりこっくりしている。時々目をあけ、また無心にかえる。そ
の自然体のおおらかさ、胸がすーっとした。

七月十五日
摘まむ指まざと見たりし螢かな
            「汀女初期作品」 螢=夏

 山桃の実が道に落ちて道路に赤い汁がしみ出していた。小学生の時初めて山桃のなる木
を見て感動した。桃も杏もぶどうも、そして伊東は蜜柑の産地でもあった。
 東京生まれ、根っからの都会っ子にとって木になる実をそのまま口に入れられるなんて
ウソみたいと思った。田園というものも、稲が青々とそよぐさまも、黄金の穂の垂れる光
景も初体験だった。疎開は都会の子供たちに大きい試練を課したが、カルチャーショック
という点では、感受性の強い時代に受けた影響ははかり知れぬほど大きい。


七月十六日
朝すでに山の烈日夏進む
          『紅白梅』 夏=夏

 七月十六日の朝、門前で送り火をたく光景は都会ではすっかり姿を消した風物詩になっ
た。火をたくのにも一々気を使う時代だから、やがては消えていく風習に違いない。子供の性格が変わった、若
の生き方が違ったというけれど、古くから続いている何げない日常や習俗、私たちのまわりでは殆ど、見られな
なった。人が変質していくのは当然である。
 言葉にすれば風物詩だが、それはたたずまいであり、あわいであり、形にはならない、
そこいらに点在している空気のゆとりのようなものなのだ。人工的によび戻すことは不可
能、余りにも全てが変わってしまったのだ。


[日めくり汀女俳句』邑書林




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