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雑記帳2020-10-1 [代表・玲子の雑記帳]

2020-10-1
ろくもんの次はTOHOKU EMOTION!

コロナの終息はまだ見えないなか、9月には東京発着を除いたGo To トラベルがスタートしました。対象にはならなくてもそろそろ出歩いても後ろ指をさされなくなったのです。申し込んで運よく催行決定になったのがTOHOKU EMOTION の旅でした。

四国出身の私には東北は縁の薄い土地です。新幹線が走るようになってもまだ数えるほどしか乗っていない。混雑する東京駅のホームに目指すはやぶさを見つけるだけでもうろうろしてしまいます。

馴染みがないだけ何もかもが新鮮です。JR東日本の機関紙「トランヴェール」だって貴重です。なにもしなくてもビジネスマンが乗ってくれるJR東海にはなんのサービスもありません。クオリテイもなかなかで、トランヴェール今月号の特集「『おくのほそ道』翻訳トラベル」は、アメリカ生まれの詩人アーサー・ビナードさんと辿るみちのくの芭蕉の句と足跡は充実した内容でした。

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初めて降り立った八戸駅のコンコースに立派な山車が飾ってありました。
えんぶりとならんで、八戸三社大祭は東北を代表する夏の祭りです。日本一と呼び声も高い山車はユネスコの有形文化財にもなっていて、毎年、多くの観光客がおとずれます。今年はコロナのため、残念ながら山車行事はとりやめになりましたが、この日、駅で見た山車は「鍾馗」。まさに今にぴったりの、疫病を退治する神様でした。

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いま、国内では食事と風景を楽しむ観光列車が次々に誕生しています。
そのひとつ、TOHOKU EMOTION は、2011年の東日本大震災の1年後に復旧したJR八戸線を走る観光列車です。 復興と地元に元気をもたらすためにと2013年の秋から運航しています。
列車はキハ110系一般形気動車の3両。客席2両の間にライブキッチンをそなえています。内装にもこだわって、車両の床や照明、あるいは小物に、島の刺し子織り、青森のこぎん刺し、岩手の南部鉄や琥珀など津軽の伝統工芸が使われて、車内に居ながらにして東北の文化にふれることができます。

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TOHOKU EMOTION
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オープンキッチン
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車内はソーシャルディスタンスをとって。窓の照明は琥珀、床は青森のこぎん刺し。

季節によってメニューは変わりますが、食材はすべて地元産。夏場はイタリアンでした。
客は八戸から久慈まで片道2時間を、美味しい料理と三陸の景色を楽しんで過ごすのです。
週の半分ほどしか運航しないにもかかわらず、開業早々黒字になったとか。

11:00に出発してすぐ運ばれてきたウエルカムドリンクは青森産のリンゴのシードルでした。食事中のアルコールやソフトドリンクはお好みをお替り自由で。山形の高畠ワインもあります。

ウエルカムドリンク.jpg

前菜は真鯛のマリネ、コンソメジュレをのせた生ウニとカリフラワークリーム、青森産ベビーホタテのスモーク、岩手産豚すね肉のミートボール、などなど、のっけから、東北の味満載です。

パスタはイカ墨を練りこんだショートパスタ。ソースは青森産スルメイカのラグーでした。

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メインはアベドリのロトロ。ロトロはパスタシートに詰め物をして煮込んだ料理を言います。アベドリは東北の優、阿部氏に因んだ名前でしょうか。岩手・青森で一番おいしい鶏肉だとスタッフのお嬢さんは得意気でした
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それぞれの器にもみちのくの工芸品が使われていました。
メインの皿は岩手の小久慈(こくじ)焼き。プティフールの入れ物は会津塗の霧箱でした。
小久慈焼きは江戸時代に始まった焼き物のですが、釜元はそれ以前からあり、西に比べればば数少ない焼き物の、日本最北の窯元だそうです。

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会津塗の霧箱の中に3種のプティ・フールが入っていた

三陸海岸を走る列車の窓からは太平洋が目の前です。この日はお天気も良く、白波のたつ美しい海洋の色を堪能しました。背には色づくにはまだちょっという田んぼや芒の原。風に輝く銀色の芒は一足早い秋を感じさせてくれました。

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白波寄せる太平洋

12:56 久慈駅到着。駅では歓迎の旗をもった駅員さんのお出迎えがありました。
復旧なった三陸鉄道の久慈駅はすぐとなりにあります。

NHKの朝ドラ「あまちゃん」の舞台になった久慈は日本有数の琥珀の産地です。
既に6世紀後半から、この地で掘り出された琥珀は東山道を通って、碓氷峠を超え、木曽谷を経て、遠く奈良の都まで運ばれたのでした。
松脂の化石である琥珀には古代の生き物が閉じ込められていることがあります。
はるばる峠を越え谷を渡る琥珀の旅も思いあわせると、なんともロマンを感じるではありませんか。
金も産出した東北はまた、古代ローマと交易のあったことがわかっています。400年前発掘された縄文の遺跡から、古代ローマのきのこが発見されたのです。
蝦夷と呼ばれた東北がどれだけ豊かであったことか、その後の歴史を思うと、胸の痛む思いがします。

14:15 1時間あまり昭和レトロな久慈の町を散策のあと、復路、デザートビュッフェの列車の出発です。
普通ならランチかデザートかどちらかを選ぶのでしょうが、今回は両方を楽しむ欲張りな企画でした。
アソートプレートから始まって、オーダービュッフェのデザートとオードブルがつづきます。これらを好きなだけ食べるにはもう少し若い時に行きたかった。一口くらいの大きさだからと言いながら全種類は食べたけれど、好きなだけ美味しく食べるには体力が要る、あんなに食いしん坊んだった私としたことが、無念の涙をのみました。

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デザートのアソートプレート
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6種類の焼き菓子は好きなだけお替りできる
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これもお替り自由のオードブル 右のローストビーフの皿は青森のヒバ

翌日は「自然を感じる奥入瀬渓流、十和田湖、種差海岸」をバスで巡ります。
途中、採用されてまだ1年という、初々しい青森美人のバスガイドさんから八戸の歴史を聞きました。

800年前、源頼朝の奥州藤原氏討伐のおり、戦功のあった南部三郎光行が山梨から一族を引き連れて移ってきたのを祖とし、江戸時代に28代目が南部藩当主となり、その何代目かが分家して八戸藩を起こしたということです。岩手だとばかり思っていた南部が青森にもまたがっていることを知ったのはつい最近のことで、一帯を南部というのは光行由来だと合点がいきました。

奥入瀬は奥に入るほど瀬が多いという意味です。
十和田湖から流れ出る豊かな水は幾筋もの滝をつくり、ブナやクルミ、楓やかつら、とちの林が奥入瀬の景観をつくっています。

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奥入瀬の源、十和田湖は周囲から流れ込む川がなく、水は湧水です。
20万年前の火山の噴火によって誕生したカルデラ湖の水深326.8mは国内3位と言われ、その水が、唯一流れ出る先が奥入瀬川なのです。

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どこまでも青い十和田湖の湖面

「奥入瀬を見ずして十和田を語るなかれ」と言ったのは明治に活躍した大町桂月です。高知県出身の桂月はよほどこの地が好きだったのでしょう。晩年を十和田の蔦温泉ですごしています。今は知る人も少なくなった桂月ですが、奥入瀬の名を全国に広めた恩人です。

十和田のもう一人の恩人は高村光太郎です。
愛する妻智恵子をなくし、戦後は岩手県花巻の郊外に隠遁していた光太郎は、乞われて十和田湖畔に乙女の像を作りました。智恵子を象ったといわれる乙女の像は、すでに結核の末期にあった光太郎が最後の力を振り絞るように制作したものでした。

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遊覧船から望む乙女の像

旅の最後は八戸に戻って種差(たねさし)海岸へ。名前はアイヌ語のタンネからきています。
タンネは芝を意味するアイヌ語です。その名のとおり、一面に天然の芝が広がる海岸は、春から初夏にかけて、ハマナスやハナショウブ、キリンソウ、スカシユリなど多くの海洋植物が咲き乱れ、花の渚ともよばれています。
近くには、繁殖のためにウミネコの飛来する蕪島(かぶしま)があり、巣立ちして島を離れる時のウミネコの数はなんと4万羽。中には子育てを終えてもこの地にとどまるウミネコもいるということです。

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種差海岸の芝生
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沖合の小島にウミネコの姿が見える

蕪島、種差海岸のある八戸から気仙沼まではかって陸中海洋と呼ばれていましたが、今、三陸復興国立公園になっています。あの震災と復興を記憶にとどめたい思いが感じられました。

 

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