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いつか空が晴れる №92 [雑木林の四季]

      いつか空が晴れる
         -グールドと漱石~「私」という牢獄と格闘した二人-
                      澁澤京子

 コロナが少し落ち着いて、ようやく観たかった近代美術館のピーター・ドイグ展に行った。まだ暑い日で人はまばらだった。

雪景色の中、一人の男が雪解けの水たまりに映る自分を眺めている大きな絵。まるで、グールドみたいだなあ、と思っていたら、ピーター・ドイグが子供時代を過ごしたカナダの印象を描いたものだそうだ。

ソーシャルディスタンスの言われている今、グールドや漱石のように孤独を大切にして、徹底的に孤独と自己と向かい合った作家は、これから結構重要になってくるんじゃないだろうか、とぼんやり考える。

グールドも漱石も、いつ聴いても、いつ読み直してみても、その都度新しい発見がある。

 往来は静かであった。二人の間にはただ細い雨の糸が絶え間なく落ちているだけなので、
 御互いが御互いの顔を認めるには何の困難もなかった。『道草』

漱石の『道草』の最初のところ。小雨の降る朝、向こう側の坂を上ってきた養父を主人公が不意に見かける場面は、まるでグールドのバッハ平均律の8番のイントロのようだ。
漱石の文章を読んでいると、まるでバッハを聴いているような気分になるのは、漱石が、情感が豊かで人一倍感じやすい性質だったためだろう。

主人公が、縁を切ったはずの養父母からの頻繁な訪問で苦しめられる話は、漱石の私生活がそのまま書かれている。そして、主人公は二人にまとまったお金を渡して完全に縁を切ることになる。自分を育ててくれた養父母に対する嫌悪感と反発と、時折合間に子供の時の情景がフラッシュバックするのが何とも切なく淋しい。

 「片付いたのは上辺だけじゃないか。だから御前は形式張った女だというんだ。」
  細君の顔には不審と反抗の色が見えた。
 「じゃどうすれば本当に片付くんです。」
 「世の中に片付くものなんかは殆どありゃしない。一遍起こった事は何時までも続くの
  さ。
  ただ色々な形に変わるから自分にも他にもわからないだけさ。」
                               『道草』
 
心の断捨離ほど難しいものはない。すっきりするのは気分という上辺だけだということを『道草』の主人公は言っている。漱石には珠玉の名言がいくつもあるけど、このセリフもその一つ。この漱石の「片付くものなんかは殆どありゃしない。」はとても深い言葉であって、死の前年とはいえ、まだ48歳でこうしたセリフをサラサラ書いてしまう漱石はかなり明晰な頭脳の持ち主だったのだろう。

漱石ほど、心がどんなに厄介なものであるのかわかっていた作家もいない。そして、因果・因縁というわけわからないものは、人の生まれ持っている癖、性格のパターンにより、何度も形を変えて反復する切れ目のない音楽のようなものではないだろうか?一人の人間の人生の中でも(一遍起こった事は何時までも続くのさ)は経験することがある(いいことも悪いことも)。似たような失敗を反復することによって自分の癖に気が付いたり、あるいはまた似たような幸運も経験することがある。

そして、漱石は、輪廻転生のような長い意識の連続性を視野にいれてこのセリフを書いたのかもしれない。人の生まれ持った性格や癖は、自分ではどうすることもできない宿命のようなものなのじゃないだろうか?つまり、私が私である限り、選択するのも「私」になるので、自由意志は存在の余地がなくなる・・・(ルターによると神の恩寵があるときだけ人は自由)
そして、人の無意識はどうしてもエゴイスティックな方向に働くことが多い。(~人は善を欲して悪をなす~パウロ)
私たちは普段はなかなか気が付かないけど、「私」がある限り、実は不自由な生を送っているのだ。

こういった不自由な「私」に徹底的に取り組んだのがグールドと漱石。グールドは孤独と音楽を通して、漱石はエゴイズムをはじめとする「私」の問題に真っ向からとりくむことによって。
漱石は『道草』ではお金を中心に巡るエゴイズムを、『明暗』では自尊心を巡る競争心、そして人の隠された支配欲を書いた。

頭脳の働きは極めて複雑精緻でありながら、『坊っちゃん』の主人公のように率直でまっすぐな性格の漱石が、頭脳の方はいたって単純・素朴でありながら、その性格には裏表があって腹黒かったり打算的であったり狡猾であるような複雑な性格を持つ人々のために嫌な思いをしたのは『道草』を読むとよく分かる。

 「へえ、たいしたもんですな。なるほどどうも学問をなさる時はそれだけ資金が要るよう
  でちょっと損な気もしますが、さて仕上げてみると、つまりその方が利回りがいい訳に
  なるんだから、無学のものはとてもかないませんな。」
 「結局得ですよ。」
  彼らの応対は健三に何の興味も与えなかった。その上いくら相槌を打とうにも打たれな
  いような変な見当へ向いて進んでゆくばかりだった。

養父が一緒に連れてきた男と、養父との会話。目の前で行われる彼らの会話に参加できず主人公が困惑するシーン。

 「これからは御前一人が頼りだよ。好いかい、確かりしてくれなくっちゃいけないよ、」
  こう頼まれるたびに健三は言い渋った。彼はどうしても素直な子供の様に心持の良い返
  事を与えることができなかった。
  健三をものにしようという御常の腹の中には愛に駆られる衝動よりも、寧ろ欲に押し出
  される邪気が常に働いていた。

養母の打算的な愛を主人公は子供の時、養父よりさらに嫌っていた。

『道草』で、人々の醜悪さとお金を巡るエゴイズムが描かれていても、全体では低俗な話にも下世話な話にも落ちず格調高く仕上がっているのは、漱石が本来持っている人としての品性のレベルがとても高いせいなのかもしれない。それと、たとえば今帰ったばかりの来客の悪口を平気で言ったり、夫の悪口を養子にあけすけに聞かせて健三(漱石自身)の味方につけようとする教養のない養母も、それに対して軽蔑と嫌悪感を感じる健三のことをも、じっと哀しみの目で見つめるような、遥かに高い大きな視点というものを漱石が持っていたからじゃないかと思う。(漱石は「私」と格闘しているうちにそうした大きな視点を獲得したのだろう)養父母も、彼らを低俗であると軽蔑してしまう健三も、神から見れば大した違いはないことを漱石はよくわかっていたのだ。

バッハという人はキリスト教の愛がどういうものかよく分かっていた人だと思う、そして漱石もグールドも、その底には大きな悲しみがあることを気が付いていた。

漱石はこうした自分の嫌な体験を身を切るような思いで書いたのだろう。
しかし、赤裸々な告白は、バッハの旧約の詩篇の曲のように美しい。詩篇ほど人間の赤裸々なみじめな感情を率直に吐き出しているものもない、人の真実の前には、綺麗事や気取ったレトリックなど吹けば飛ぶような浅薄なものになる。
「一流の詩人は自分が実際に感じることを言い、二流の詩人は自分が感じようと思ったことを言い、三流の詩人は自分が感じねばならぬと思い込んでいることを言う」と書いたのは、詩人のフェルナンド・ペソアだった。
詩人に限らず、芸術家はどれだけ「私」と格闘して真実を伝えようと努力していることだろうか・・・そしてそれは実際、どんなに難しいことだろうか?

そして、ペソアの、「人為的なもの、それは自然なものに近づくための道である」グレン・グールドも、グールドがそのレコードを何枚か所有していたビル・エヴァンスも、自分を消去して透明な音を出すためにどんなに一日中ピアノの練習を重ねただろう・・・
グールドもビル・エヴァンスもすでに素晴らしいテクニックを持っていて、それを自然に近づけるためにさらに工夫に工夫を重ねて努力していたのだと思う。

グールドの両親が、彼をモーツアルトのような神童(人からちやほやされる見世物のような神童)にならないよう、注意深く育てたのは、正しかったのだと思う。そのためにグールドがモーツアルトを嫌ったのは残念な気もするけど。
グールドの奇行は自意識過剰とも言われることがあるけど、一人っ子で大切に育てられたグールドは、過保護なお坊ちゃん育ちであるのと天才にありがちな鷹揚さで、もともと(音楽以外では)他人からどう思われても構わない面があったのだと思う。

グールドの演奏と漱石の文章には、不思議と人の気持ちを静かに落ち着かせるものがある。

グールドは、その類まれなリズム感と音感、その非常に正確なピアノ演奏にあるのかもしれない。グールドのピアノ演奏には、数学的な美しさがあって、そしてそこには非情な冷たいものはまったくなく、自然と人に対する大きな愛がある。理知的なものと、ロマンティックなものという極端がグールドの音楽にはある。
グールドは、年取ったり捨てられたりした動物たちを引き取る広大な楽園をカナダに作りたいと夢見ていたし、親しい友人からは誰からも、気取りのまったくない優しい人間として愛されていた。(一人っ子で過保護に大切に育てられ、思春期になるまで両親が毎晩代わる代わる添い寝していたようだ)あまりに壊れやすい身体と心を持っていたために、聴衆を拒否して孤独に閉じこもったのだろう。

そしてグールドが何よりも拒否したのは、聴衆の受けを狙った、喜ばせるための芸術であったのだと思う。

  もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪いて、私に濠髪(ごうは
  つ)の疑いを挟む余地もないほどの直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめんこと
  を祈る。でなければ、この不明な私の前に出てくるすべての人を、玲隴透徹な正直もの
  に変化して、私とその人の魂がぴたりと合うような幸福を授け給わんことを祈る。
  『硝子戸の中』

この漱石の思いは、グールドも同じだったのじゃないだろうか。漱石が純粋な関係を切望していたように、グールドも、ただの知的虚栄心や娯楽でコンサートに出かける聴衆じゃなく、自分の音楽を必要とし、一対一で真剣に聞いてくれる純粋な聴き手に聴いてほしかったのだ。(グールドは牧場の牛相手に、真面目に自分の歌を聴かせるような人だった)要するに、グールドは音楽を通して、聴き手と誠実な対話ができることを望んでいたのだろう。

よく、「話せばわかる」というけど、人と人がわかりあうのは「私」がある限りそんなに簡単にいかない。『明暗』には、他にケチをつけることで常に他人より優位に立とうとするお秀や、人に認められたい願望が強く、競争心の強いお延など、エゴの強い女たちが登場する、そしてそうした「我=私」が障害になって実は皆御互いにバラバラで孤独なのである・・

思い込みや偏見といった我執によっても、人間関係は大きくゆがめられてしまう。なんといっても、無知で自尊心が強い人間ほど偏見も差別も強い。(無知であるのと無垢なのとは全然ちがう)偏見は、その対象に対して無知なのに(わかってるつもり)になることから生まれる・・・
ジェイン・オースティンやメレディスの『エゴイスト』を愛読していた漱石はそういったことがよくわかっていた。

一方、天才ピアニストとして華々しいデビューを飾ったグールド。いつの時代も大衆やマスコミは有名人のスキャンダルを好む。どうでもいいようなあら捜しをして批判したり糾弾するのが好きな野蛮な人々・・グールドは、そういう野蛮な聴衆を避けたかった。

二人とも、自身を含めた人間の救い難さというものをよくわかっていたのだ。

そして二人とも、人や動物、自然に対する溢れんばかりの愛を持っていた人間だったということは、たとえば漱石・子規の往復書簡を読むとすごくよくわかる。(漱石と子規の友情は身内以上に親身なもので、特に漱石が子規の死後、ロンドンから帰ってきて子規のために書いた文章は素晴らしい。)また、グールドの友人の証言や、無名のファンに対する丁寧な返信など読むと、彼がどんなに情愛のこまやかな優しい人間だったのかもわかる。グールドが大の愛犬家で動物好きであったように、漱石は猫も犬も愛した。

漱石は何人かの弟子に裏切られて去られ、失意のうちに『こころ』を書いた。グールドもまた、バーンスタインとのトラブルや、彼に対する否定的な批評に深く傷ついている。
二人が世間や聴衆(集団)というものを嫌ったのはとても似ている。
二人とも、早くから精神も知性も成熟している早熟な子供だったために、世間や人から影響を受けることの少ない流されにくい自立した性質だった。
少年時代のグールドは、友人たちから好かれる明るい優しい少年だったのにも拘らず、その早熟な天才ゆえに孤独であり、漱石もまた、多くの弟子やファンを魅了する人徳を持ちながら、孤独だった。漱石もグールドも、誰のコピーにもならないオリジナリティをもともと持っていたのであって、それには何よりも孤独が必要だったのだ。そして、二人とも、あまりに純粋な関係を求めて、それが表現活動につながっているようなところがある。

グールドは音楽家じゃなかったら作家になりたかったそうだ。(グールドはすごい読書家だった。)グールドは作家というより、むしろ詩人に向いていたんじゃないだろうか、「詩人はふりをするものだ・・」のフェルナンド・ペソア。数多くのペンネームと複数の顔を持っていたペソア。あるいは、「偉大であるためには自分自身でなければならない・・」のペソアのような。グールドが自分自身でいられたのはおそらくピアノに向かっている時だけだったろう、ピアノに向かっている時だけ、彼は見事に自分を消すことができたのだから・・

フェルナンド・ペソアの魂に複数の宇宙や、オーケストラと交響曲があったように、グールドも、自身の内側から自然に次々と溢れ出てくる豊かな音楽をもっていた。しかし、生まれ変わりがあったとしてもやはり素晴らしい音楽家として再び活躍してほしいものだ・・・なぜなら物事はそう簡単に片付かないし、「一遍起こったことは何時までも続く」のだから。

勅使河原宏監督の『砂の女』(安倍公房原作)を好んで何度も観たというグールド。グールドも漱石やペソアと同じように、「私」という牢獄と格闘していたのだろう。

グールドの死後、彼のベッドの下からは、ボロボロになるまで読まれた漱石の『草枕』(英訳)と聖書が出てきたという。興味深いのは、まだ少年のグールドがピアノの練習をしていたら家政婦がすぐ近くで掃除機をかけ始めてピアノの音が掃除機の音でかき消され、その時、はじめて音楽は耳に聞こえるように外にあるのではなく、自分の内側にあることに気が付いて狂喜したという事・・いきなり音楽が消えたことによって、はじめて自分の内部に真の音楽があることに気が付くって、まるで禅の見性(自己の本性を見ること)のようではないか。
グールドの場合、少年時代に一度「私」という牢獄から解放される鍵を見つけていた・・

もしかしたら、グールドは、生涯、この少年時代に聴いた(内なる音楽)を追いかけていたのかもしれない。『草枕』という桃源郷を理想に持ちながら、あくまで不愉快な此の世と真摯に向かい合った漱石と、此の世を避けて、果てしなく真(理想)の音楽を追い続けたグールド。

『草枕』にはお能と、禅問答のような会話が頻繁に出てくる。漱石はこの二つを頭に入れて書いたのだろう。グールドの晩年に録音された『ゴルトベルク変奏曲』。あの、ゆったりしたテンポのバッハは、まるでお能みたいだ。形式はしっかりしていて、内部に流れる時間は過去現在未来が交差し、こちらの想像や感情移入が自由に投影できるところも似ている。(世阿弥は禅の影響を受けてお能という芸能を創造した)

母が亡くなった後、私はバッハのピアノ協奏曲第5番のラルゴの部分を、何度も聴いて、そのたびにグールドに慰められた。1957年に録音されたサンフランシスコの公演のもので、演奏を終えたグールドは指揮者に目もくれずにさっさと舞台から姿を消したらしい・・グールドの独奏だけ切り取ってそこだけ何度も聴いていたけど、その聴き方は、グールドから見ると正しかったのかもしれない・・
そして、漱石の本はいまだに飽きずに何度も読み返してしまう。漱石もグールドも常に終わりのない未完の存在なので、すごい魅力なのだ。

明治の、田舎から出てきた青年の自己実現小説(私小説に多かった)が流行していたときに、すでにエゴイズム、それによって起こるコミュニケーションの不可能と孤独に気が付いていた漱石と、混じり気のない純粋な音楽を伝えようとしたグールド。(you tubeで気軽に彼の演奏を見ることができるのはなんて幸せなことだろう!)

禅の「莫妄想」(まくもうぞう・妄想する莫れ)も、「諸悪莫作」(しょあくまくさ・悪を作すこと莫れ)も、実行してみると実際はすごく難しい。エゴイズムはそんな簡単に片付かないからだ・・・・坐禅も浄土真宗の念仏も、キリスト教の何度も繰り返し唱える祈りも、結局はこのしつこいエゴイズムを落としていく作業になるのかもしれない。しかし、落とせば落とすほど、余計自分の汚れが目についてうんざりしてしまう・・しかも、常に自己満足や自己欺瞞のエゴの落とし穴があちこちに待ち受けていたりする。

漱石もグールドも明晰な頭脳と繊細な神経を持っていたために、日常の中では自身もエゴイズムや煩悩の泥沼にどっぷり浸って生活していることをよくわかっていたのだと思う。

弱い身体を酷使して、満身創痍で「私」と格闘してきた二人は、今は北極星のように遠くにあって、人を慰める力を持っている。(二人とも、生きている時はそんなことは考えもしなかっただろう)

『草枕』のような桃源郷をずっと追い求めた二人。

二人の流浪の魂は、今ではどこか空のかなたで、月に臥して雲に眠るように悠々と過ごしているのじゃないかと想像すると、なんだか安らかな楽しい気持ちになるのである。
          (漱石の真似をするグールド)

            参考文献『グレン・グールド伝』 P・オストウォルド
                『グレン・グールドは語る』筑摩文庫
                『道草』 夏目漱石
                『硝子戸の中』 夏目漱石
                『不穏の書・断章』フェルナンド・ペソア
            


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