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論語 №106 [心の小径]

三三〇 子路いわく、いかなるをここにこれを士と謂(い)うべきか。子のたまわく、切切(せつせつ)、偲偲(しし)怡怡(いい)如たるを士と謂うペし。朋友には切切偲偲、兄弟には怡恰。

              法学者  穂積重遠

 古註(こちゅう)に、「切切」は「懇到(こんとう)」、「偲偲」は「詳勉(しょうべん)」、「怡怡」は「和悦」とある。最後が「怡怡如也」となっている本もある。

 子路が、「どういうのを士と申すべきでしょうか。」とおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「切切すなわち『ねんごろにゆきとどく』こと、偲偲すなわち『つまびらかにつとめをはげます』こと、怡怡すなわち『やわらぎよろこぶ』こと、この三つがそろってはじめて士といえる。朋友には切切偲偲じゃぞよ。兄弟には怡怡じゃぞよ。」

 この三者が子路には苦手らしい。これも例の応病与薬だ。中井履軒(りけん)、念を押していわく「下文に覆説(ふくせつ)する者は、朋友には切偲(せつし)を主とし兄弟には怡怡を主とするを謂ふなり。朋友には全く怡怡を須いず、兄弟には全く切偲を須(もち)いずと滑うにあらず。」

三三一 子のたまわく、善人、民を教うること七年、亦以て戎(じゅう)に即(つ)かしむべし。

 孔子様がおっしゃるよう、「有徳の君子が人民を七年も教化訓練したならば、はじめて戦争に使い得るだろう。」

 古註にいわく、「これに教うるに孝俤(こうてい)忠信の行いと農を務め武を講ずるの法とを以てすれば、民その上(かみ)に親しみその老に和するを知る、故に以て戎に即かしむべし。」

三三二 子のたまわく、教えざる民を以(もち)いて戦う、これこれを棄(す)つと謂う。

 孔子様がおっしゃるよう、「十分に教化訓練してない人民を駆って戦争すれば、必ず敗戦にきまっているから、人民を捨て殺しにするというものじゃ。」

 前章と併せ読んで、かくまで戦争を慎んだ孔子様が、先ごろの戦争を何と言われるだろうと、感慨無量である。


『新訳論語』 講談社学術文庫




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