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渾斎随筆 №65 [文芸美術の森]

平泉行

              歌人  會津八一                    

                (一)

 昨晩つきました。今晩この店の若主人に連られて平泉に向ひます。昨日は雪で眞日な清水峠を越えて沼田のあたりまで来ると、こちらは、もう雪どころでなく、青々とした麦畑の土は白く乾いて、梅が咲ききって居ました。ずゐぶんのちがひです。しかし先月の今ごろ奈良へ行った時にあちらでは、梅はもう過ぎかけて居ました.京都と奈良は底冷えがして新潟よりも、かへって寒いやうに私などもいってゐましたが、だいぶ見當外れでした。それについてまた思ひ出すのは、昨年二月の末に坪内先生の奥さんの葬式に、熱海へかけつけた時には熱海では櫻が咲いてゐました.あそこでは十二月の二十七、八日頃に梅園の日當りのいい所では、もう咲きかけてゐるのを見たことがあります。廣くもない日本でもこれくらゐちがふ、そして越後のお百姓は一番お骨が折れることも、つくづく考へられます。
 上野驛へは、ここの主人と、あるクレーオン曾社の社長と、早稲田の先生が一人迎へてくれました。例の部屋- ちか頃では、まるで私のもののやうな感じがする部屋にのびのびとしました。こちらでは二十日から三日間、私の古稀の祝いのためにこちらの三回のホールで開かれる私の若い友人たちの、書畫展覧曾の作品がもうぼつぼつ届いてゐました。畫の方では曾宮一念、小泉清、杉本健吉、山田正平といったところ、この人たちは、近頃その方面で人気をあつめて居られるが、不思議にも、永い間私に因縁の深かった人たちです。この中で山田君は新潟出身で、篆刻家としては日展の審査員として光ってゐるが、畫は郷里ではあまり知られてゐないけれども、私などの見るところでは、なかなか偉いものです。このほかに中田瑞穂さんにも御出品を願ってあります。牡丹の古木が赤い芽を吹いた寫生をお出し下さるはずです。この人の迫眞の態度はかならず人を驚かすでせう。また東大寺の趣味家として知られてゐる上司海雲檜正、岡山の法界院の松坂歸庵僧正などの近作も出るといふことです。
 畫の中に、日本美術院の彫刻の同人喜多武四郎君の私の顔のスケッチも出るはずです。この人には別にリリーフで私の大きな銅像がお頼みしてあるのですが、先月私が上京中に、同君のアトリエに三四遍通ってモデルになった。その時に、私は毎日の出歩きにつかれてついうとうとと居眠りをした。その秋艸道人を、手早くスケッチしておかれたのが、この会で発表されるのらしい。お恥しいことです。
 私の肖像のことをいへば、喜多君のこれのほかに、濱谷浩君、三浦寅吉君、入江泰書君、小熊義人君などの手でうつされた寫眞が出る筈です。濱谷君のうつされた私の顔が、昨年中に発表された人物寫眞のうちで、全國的に、これが白眉だといふ評判なので、入江君、小熊君あたりで兢事の形になって来たやうです。その顔の持主としては、少しくすぐったい気拝です。
 それから書道の方では、テニスの福田雅之助君、歌人の吉野秀雄君。福田君は私の字にあまり似過ぎていけないといつも私がいふくらゐ、それに反して吉野君は、鵜の毛ほども私に似てゐない。こんなコントラストを自分の同人の中に見出すことも、私自身としてはほんとに面白いことです。福田夫人の冨美子さんも歌を書いて出されるといふし、横山美智子さんからも何か来るといふことです。
 陶磁器研究の學者として小山冒士夫君は知らぬ人もないが、この人は二十年も前から、自分でも作って焼いてをられた。こんどの曾にも、その近作の茶碗が現はれる筈であり、同じ陶器學者の料治熊太君は版書を出してくれるさうです。
 ここまで書いたところへ、ドアをノックして喜多君が迎へに来られました。これから午前中を二時間ばかりモデルになりに行くのです。
                            『新潟日報』夕刊昭和二十五年三月二十八日


『會津八一全集』 中央公論社




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