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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №36 [文芸美術の森]

第六章 個展の会場で

        早稲田大学名誉教授  川崎  浹

超自然的なものへの視線

 昭和四十年(一九六五)一月の個展はまだ終わっていない。当時の私の日誌にはこう記されている。
 「野十郎の個展、殆ど日参。すばらしいものだ。たいていの者が禅ふうの〈凄さ〉に圧倒されるが、ほんとうの〈凄さ〉は、外見上の〈凄さ〉が消え、ふわっと浮いている所にあるのではなかろうか。野十郎の絵には〈迫力〉がないという人がいる。しかし迫力以上の静謐がある」。
 かれの多くの絵には超自然的なものへの視線が静寂の内に漂っている。ときには超自然そのものが羽根を休めて留まっているようにすら感じられる。それは何ものでもないかのように、また何ごとも生じていないかのように軽く淡くとまっているので、本来、私たちがそれとともに連ばれている真に速いものは止まっているようにも見え、またそれに伴う真に力強いエネルギーは空気のように掴みどころがない。この神秘の力は私たちからはつねに秘匿されている。
 しかもさらに画家は迫力という「強さ」だけでなく、私たちが気にもとめず使用している「深さ」という観念もしりぞける。

  芸術は探さとか強さとかを取るべきではない.「諦」である.(傍点は高島)

 かつて私の友人は野十郎を評して、岸田劉生に似ているが劉生のような重厚さがない表層的で実在感もうすいと言ったが、野十郎は重厚さを慎重に避けようとしている。これはひじょうにユニークな方法ではなかろうか。
 後半生の野十郎の世界では強さや深さがしりぞけられ、「諦」がそれに取って代わる。私たちの社会では「諦」をあきらめと読み、数種の経典もそう解釈している。しかし大方の経典で諦(たい)といえば、「明らかにする」「正しく見る」、さらには「真理」という意味で用いられる。野十郎の『ノート』にはこの「諦」にふれたもうひとつの成句がある。

冥土への一路 芸術の眞諦(しんたい)。

 「眞諦」とは「真理のなかの真理」であり、ある場合には「絶対」という意味も含まれる。現代では「真理」は「正義」と同じく何を基準に真理といい、何を基準に正義というのか基準をもたぬ言葉になってしまった。それでも、右の成句は「芸術の真実とは死と向きあうことである」と読むことができる。
 一九五〇年代後半、院生の私はハイデッガーの『存在と時間』を愛読書にしていた。いまでも日本語の表題を忘れたときはドイツ語の「Sein und Zei((ザイン ウント ツワイト)」を想いだし、サルトルのまぎざらわしい表題の本『存在と無』(L'eyre et le neantn)と区別する。私は初期文法でこなせる部分は要点をドイツ語で読んだ。ハイデッガーは私にとっての父親だった。そこには、「良心的にかつ真実に生きるためには」ひとまず時間に先駆けて死をつかみ、そこから生をふりかえることだと書いてある。
 野十郎は「死」と書くかわりに「冥土」という言葉を使ったにすぎず、そこで掴んだものが「強さ」や「深さ」とは反対のものだった。だから画家は以前の個展(一九五九年)のときに《春の海》を前にして、「空気を描いたのです」と私に説明した。「空気を描く」という表現は私にひどく新鮮な印象をあたえ、同時に絵の裏側にあるものが見えるような気がした。一九五二年の作で五三・二×七二・五のサイズだが、私たちの前にあるのは「空気」といってもおかしくない空間である。
 画面のもっとも手前は線の草原、そこから有明海の干潟がひろがり、はるかに雲仙の山並みが春霞の向こうに、干潟の先にある海と同系の淡紫色で彩られている。空の色はもつと薄い。山並みの高低が虚実のあわいでみごとな曲線を創り、緻密な筆が手前の潮の引いた複雑な干潟を表している。写実様式でありながら写実ではない空間。高島さんが「空気を描く」と言うにふさわしい。画家から聞いたのは五十年前だったので、「空気」はまだ十分に独創的で透明だった。


『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社




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