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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №42 [文芸美術の森]

          葛飾北斎≪富嶽三十六景≫シリーズ
           美術ジャーナリスト  斎藤陽一

第8回 「御厩河岸両国橋夕陽見」
   (おんまやかしよりりょうごくばしせきようをみる)

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≪残照の墨田川≫

 今回は、「富嶽三十六景」中の江戸を描いた風景のひとつ「両国橋夕陽見」を見ましょう。

 時刻は夕方、それも既に日没後の隅田川の光景なので、夕闇が迫る中、すべてがぼんやりとほの暗く見えています。
 今しも、一艘の渡し船が、墨田川東岸から対岸の御厩河岸(現在の台東区蔵前)に向けて出発しようとしている。対岸に見えている家並みは御厩河岸、そこから左に見えている橋が両国橋です。次第に色彩と形を失っていくこれらのものを、北斎は、輪郭線を用いずに摺る「無線彫(むせんぼり)」で表現しています。

 このような対岸の風景の彼方には富士山が・・・既に日は沈んでいるので、微かな逆光の中、濃紺のシルエットとして描かれています。
 こちら側の河岸近くの川面には、波のうねりが藍色の濃淡の線で美しく描かれています。この絵でも「ベロ藍」を効果的に用いています。

 両国橋の欄干をよく見ると、小さな点のようなシルエットが、端から端までびっしりと描かれていることが分かります。橋の上には、大勢の群衆が集まっているのです。川面には、何艘もの船も浮かんでいます。してみると、これから花火大会が始まるのかも知れません。

 おそらく北斎は、夕闇迫る中で刻一刻と色彩を変えていく隅田川の情緒を描きたかったのでしょう。

≪点対称の構図≫
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 この絵の「構図」で注目すべきは、船頭の頭を回転軸として、両国橋の弧線と渡し船の弧線が、それぞれ反対の曲線となっているところです。これは、幾何学で言うところの「点対称」です。(右図参照)

 勿論、北斎がそのような用語を知っていたはずはありませんが、これまでの回でたびたび指摘したように、もともと彼は、描く対象を瞬時に幾何学的に把握する資質
を備えていた絵師でした。


42-3.jpg 北斎は五十代半ば頃に、いくつもの「絵手本」を刊行しています。「絵手本」とは、絵を学ぶ者たちへの手本、という性格をもった絵入り冊子です。
その中には、定規とコンパスを使って絵を描く方法を図解した「略画早指南(りゃくがはやおしえ)」のような絵手本もあります。(右図参照)
 北斎は、幾何学的なデザイン感覚を持った絵師だったことがわかります。
 渡し船に注目してみましょう。

42-4.jpg 船頭は後ろ姿で描かれ、後頭部を見せているので、その視線の先に富士山がある、という趣向となっています。
これにより、この絵を見る私たちの視線も富士山に誘導されます。

 また、船頭の丸い頭とバランスをとるように、船の舳先には丸い笠をかぶった旅人が座っています。この両端の二つの円と呼応するように、船中には、笠や唐傘、桶などの円形が配され、ポンポンポンと弾むような円のリズムが演出されています。

 舟には、旅人、行商人、按摩、鳥刺し、武士などが乗合っていますが、一日の仕事を終えて家路に向かうのでしょうか、どこかくたびれたように押し黙っている雰囲気が感じられます。北斎は、それらの一人一人を巧みにとらえて配置しています。

 次回は、「富嶽三十六景」シリーズの中から、“風”を描いた「駿州江尻」を紹介します。


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