SSブログ

多摩のむかし道と伝説の旅 №47 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

        ―伊奈の石工が江戸と往還した伊奈道を行く―4

                     原田環爾

 続いて伊奈の石工が伊奈と江戸とを往還した伊奈道を実踏することにする。再び武蔵増戸駅から鎌倉道を辿って先の宿場通りの辻に来る。辻を左に入れば伊奈道の旅が始まる。

47-1.jpg

47-2.jpg 宿場通りはすぐ五日市街道に合流する。ここからは五日市街道が伊奈道となる。街道を進むと沿道右に樹々で覆われた天満宮が建っている。貞治・応安の頃(1362~1374)足利基氏の母瑞雲尼が創立したと伝える。沿道左には醤油の醸造販売所がある。屋号は「キッコーゴ醤油」、どこかで聞いた名前に似ている。ほどなく道標「渕上」の架かる分岐点にさしかかる。左斜めに入る分岐道は五日市街道、直進する道は睦橋通りだ。伊奈道は睦橋通りとなる。橋通りに入ると渕上から代継地区へ入る。前方に道幅の広い上り坂の久保坂が目に入る。これは近年できた新道のバイパスで、本来の旧道は坂の手前で右斜めに分岐する道だ。旧道に入ると沿道右の滝坂の傍らに白滝神社がある。境内の段丘崖から小滝が流れていることからこの名がある。白瀧神社の創建年代は不詳であるが、社伝によれば日本武尊の御霊跡という。江戸時代に当地の代継氏が不動明王を合祀したことから不動堂とも呼ばれた。段丘崖の中ほどには八雲神社47-3.jpgの小祠があり、滝口には不動明王の化身倶利伽羅竜王の石像が立っている。旧道を道なりに進み圏央道のガードをくぐると牛沼の集落に入る。集落には南北に走る滝山街道との交差点「油平駐在所前」があり、そのため民家の戸数も多く賑やかだ。交差点の手前沿道左に油平八幡社がる。油平は“あぶらだい”と読む。この辺りは400年前の戦国時代に小田原北条氏の家臣によって開かれた土地で、この辺りで油採取用の作物として胡麻を栽培していたことからこの名がある。交差点から滝山街道を南に入れば臨済宗建長寺派の徳禅寺があり、その隣には多摩の地酒「千代鶴」の醸造元中村酒造がある。中村家は400 年以上前より当地に住みつき、元は士分であったが八代前より酒造業を起こし、以来20047-4.jpg年の歴史を刻んでいる。現当主中村八郎右衛門は十七代目にあたる。蔵を改装した酒造り資料館の建屋は土蔵造りの二階建で、明治17年酒造用具蔵として建築されたものでなかなか味わい深い。資料館には200年間に用いられてきた伝統の用具、資料が展示され、片隅には地酒の試飲・販売コーナーもある。なお銘柄“千代鶴”の名の由来は、昔秋川流域に鶴が飛来したことがあり、これに因んで縁起のいい千代鶴と命名したという。中村酒造から更に滝山街道を南に山王坂を下れば秋川の畔に樹高20mの杉の御神木の立つ牛沼の鎮守秋川神明社がある。神明社にはこん47-5.jpg47-6.jpgな伝説がある。その昔ここより上流の引田村の真照寺にあった山王権現のご神体が洪水で流されてこの地に流れ着いた。村人は風の便りに引田の山王様であることを知り一旦はこれをお返しした。ところがある時洪水となり、ご神体が再び流されて同じ場所に流れ着いた。村人は二度もこの地に流れ着いた不思議な因縁を思い、これを神明社に安置したという。(つづく)
 

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。