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新訳論語 №105 [心の小径]

三二七 子のたまわく、君子は事(つか)え易(やす)くして説(よろこ)ばしめ難し。これを説ばしむるに道を以てせざれば、説ばざるなり。その人を使うに及びては、これを器にす。小人は事え難くして説ばしめ易し。これを説ばしむるに道を以てせざるも,説ぶ.その人を使うに及びては、傭(そな)わらんことを求む。

               法学者   穂積重遠

 「器にす」は機械視し道具扱いすることではない、適材を適所に用いること。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子は公平で思いやりがあるから,その部下として事えるのはやさしいが、ごきげんはとりにくい。喜ばせようと思っても正しい道をもってしなければ喜ばないからである。しかし人を使うには、各人をその才能に応じて働かせて、無理な注文をしないから、つとめよいのである。これに反して小人は、私心があって苛酷だから、下の者がつとめにくいが、ごきげんはとりよい。すなわちへつらいとか、まいないとか道ならぬことをしてもよろこぶから、よろこぼせよいが、人を使うのに一人の身にすべてのことが備わることを求めて責めつかうから、甚だ事えにくいのである。」

 「備わらんことを求む」ということは、夫婦や姑嫁と齢の間でもよほど注意しないといけない。互いの要求や期待があまり大き過ぎることが、結局不和のもとだ。古註(こちゅう)の左の説明が要領を得ている。「君子は、己を侍するの道甚だ厳にして人を待つの心甚だ恕なり。小人は、己を治むるの方甚だ寛(かん)にして人を責むるの意甚だ刻なり。君子は人の理に順(したが)うを説び、小人は人の 己に順うを喜ぶ。君子は人材を貴重し、才器に隨(したが)いてこれを使う。故に天下に用うべからざるの人なし。小人は人才を軽視す。故に全きを求め備わるを責めて、卒(つい)に用うべきの人なきに至る。」

三二八 子のたまわく、君子は泰(やす)くして驕(おご)らず.小人は驕りて泰からず。

 「泰」とはユツタリとしていてコセコセしないこと.[驕」は尊大。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子はおちつきがあっていばらない。小人はいばっていておちつきがない。」

 前に「坦(たいら)かにして蕩蕩(とうとう)」「長(とこしな)えに戚戚(せきせき)」とある(一八三)のに対する。

三八九 子のたまわく、剛毅(ごうき)木訥(ぼくとつ)は仁に近し.

 孔子様がおっしゃるよう、「意志強固・気性勇敢・容態質朴・言語寡黙なのは、仁に近い。」
                                        
 例の「巧言令色」(三)の反対だが、「鮮(すくな)し仁」と言って「仁なし」と首わず、「仁に近し」として「仁そのもの」としないところに注意すべきである。

『新訳論語』 講談社学術文庫

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