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日本の原風景を読む №8 [文化としての「環境日本学」]

序 まほろばの里で イザベラバードの奥州路  
文化としての頂の灯 - 高畠 2
 
  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

日本人の美意識の源
 六月、田も人も生気に満ちる。満々と水を湛えた田の面に、植えられたばかりの稲が水面から一〇センチほど、まっすぐに頭をのぞかせる。
 完壁にめぐらされた農道と水路。しっかりとアゼで区切られ、水口と水尻とで水路につながる肥沃な水田。この光景は日本列島が水田という生産装置を完備した、世界に冠たる自然・農業資源の大国であることを思わせる。水田の他に雑木林や鎮守の森、屋敷林、生垣、用水路、ため池、アゼや土手・堤などがつながりをもつことで、多くの生物が育まれ、さまざまな生態系が培われている。私たちの命の基盤である水田光景の美しさ、安心感はたとえようがない。二〇一〇年名古屋で開催された国連生物多様性条約の加盟国会議に日本政府が提案し、採択された「里山プロジェクト」の原点である。
 前面に広々とした水田を抱き、社寺を分散させ、地形は徐々に傾斜度を高めていく。陰影に富む、山ひだの深い奥羽山脈に連なる高畠町和田の景観は、縄文・弥生時代に遡るこの地の狩猟・漁労・農耕の記憶をよび覚ます原風景というにふさわしい。高畠は縄文遺跡の町として知られる。東京や大阪からこの地に憧れて移住した約八〇人の多くは、懐かしさを誘う「風景の魅力」を第一の移住動機に挙げている。
 初夏の夕、涼風がわたり、蛙声が一段と高まる田に月が昇る。水深一五センチの田の稲はまだ若く、畝で整然と区切られたどの田にも月は僅々と映る。日本人の美意識を培ったと言われる田毎(たごと)の月である。
 1R東日本「車窓の風景」第1位に選ばれたのは、長野県篠ノ井線の嫉捨(おばすて)駅のあたりから千曲川に降下する棚田に映える田毎の月である。日本列島の全ての水田に田毎の月は輝く。田毎の月に培われた日本人の感性は、水田稲作文化の華と讃えられる。この季節、高畠町・和田の棚田も一枚一枚が水面に月を映して輝く。

蛍に魂を奪われて
 宮城県境に近いかっての宿場、二井宿の大滝川流域はゲンジ、へイケ、クロマド、ヒメ蛍の四種が生息する全国屈指の蛍の宿である。二井宿では農薬、洗剤の使用を控え、森の伐採を中止、蛍の餌カワニナを食べるイワナを放流する遊魚漁をやめるなど、「ゲンジ蛍とカジカ蛙愛護会」(島津憲一会長)に加わった住民たちの一九九八年に始まる努力が実った。七月初め川沿いの家々は照明をひかえ、蛍の灯を際立たせる。
 陸生のヒメ蛍が林床に放つ光は強烈だ。「蛍を見慣れた人でさえ、三六〇度、シャンデリアのように輝くヒメ蛍の光には、魂を奪われて、圧倒的な感動を覚えるようです」(島津会長)。
  声はせで身をのみこがす蛍こそ言うより勝る思いなるらめ (『源氏物語』)
  夏は夜 月の頃はさらなり やみもなは蛍のおおくとびちがひたる (『枕草子』)
 米沢藩の名将直江兼続も高畠の名刺亀岡文殊で歌会を催し、蛍の歌を詠み、奉納している。

全校児童三九人の「大運動会」に沸く
 快晴の五月十八日、高畠町立二井宿小学校で「大運動会」が行われた。全校生徒三九人、峠の向こう宮城県の、山あいの森に一四〇年の歴史を刻んできた。
 地元の杉材で建てた木の香漂う校舎二階に、二二九人 力の限り 全力疾走!」のスロ-ガンを記した横断幕が。百人ほどの村人が見守る。赤組・白組の対抗戦で、「組頭」「副組頭」の五・六年生は足元に届く鉢巻きを締め、三・四年生の応援団は全力で太鼓を叩き、舞い、この間まで幼稚園児だった一年生四人は、全身をのけぞらせて大学応援部顔負けの振りを披露。実行委員、看板・会場係、放送係と全員が役につき、全員が走り、投げ、綱を引き、応援合戦に加わる。全てを同時にこなさなくてはならず、三九人は一人でいくつもの役を進行させなくてはならない。休む間もない四時間に子どもたちは全力を尽くす。おりをみてはエールを交換し、励まし合う。大人たちは笑いと涙の声援と拍手を送り続ける。長老佐藤吉男さんの姿も。高い給食自給率で知られる二井宿小学校農園の支え手だ。校庭を囲む山々の樹種を佐藤さんは知り尽くしている。

『日本の原風景を読む~危機の時代に』 藤原書店


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