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多摩のむかし道と伝説の旅 №46 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

        -伊奈の石工が江戸と往還した伊奈道を行く-3

                 原田環爾

 古道から集落を北に抜け元の旧道に復帰すると、そこに崖の傾斜面を上がる長いコンクリートの急階段がある。100段もあるだろうか、中央の手すりに助けられながら上がりきると、上は台地状の平坦地で、わずかな民家と46-1.jpg畑が広がっている。前方50mほど先には武蔵五日市線の踏切があり、その向うに深い雑木林を背景に風格のある寺が佇んでいる。それが横沢の古刹大悲願寺だ。真言宗豊山派の寺で山号を金色山、院号を吉祥院と称す。建久2年(1191)源頼朝の命で源平戦で活躍した武蔵七党の西党に属した平山季重が開創したと伝える。踏切を渡り山門前の通りに入る。いかにも古びた黒っぽい2階建ての楼門様式の山門と寺域を囲む石積みの廻垣の白壁が織りなす景観が、周囲の鄙びた風景と溶け合ってなんとも独特の趣を醸し出している。山門をくぐって境内に入ると正面に観音堂がある。本尊の阿弥陀三尊像が安置されているという。右手には鐘楼があり、その先には重厚な本堂、それに庫裏がある。ところで大悲願寺は通称白萩の寺としても知られている。昔、仙台青葉城主の伊達政宗公の異母弟に法印秀雄と名乗る修行僧が当寺にいたことがあり、その関係で政宗はしばしば川狩り(鮎漁)を名目に寺を訪れ、その折境内に咲いていた白萩を所望した。その白萩所望状は今も残されているという。秀雄は後に大悲願寺の第15代住職になり、晩年は中野の宝仙寺に移り住んだと伝えられる。
46-2.jpg これより横沢入へかう。山門を出て門前の道を東へ向かう。増戸保育園を左にやると、右に武蔵五日市線の線路が真っ直ぐ延び、左にはのどかな田園風景が広がる。緩やかな下り坂を100mも進めば丁字路帯に来る。そこが横沢入の谷戸への入口だ。左折して谷戸道に入ると数軒の農家以外は広大な畑風景が展開する。畑の先に目をやれば道を挟んで左右に雑木林で覆われた比高差の低い山が控えている。緩やかにうねる様な山陰の小路を抜けると、忽然と眼前に自然のままの広大な谷戸風景が広がる。東京都が平成18年1月に条例により「横沢入里山保全地域 及び 野生動植物保護地区」と指定した所だ。丘陵で囲まれた都内有数の谷戸で中央の湿地帯を七つの谷戸が取り囲む地形になっている。すなわち左に草堂ノ入、富田ノ入、釜ノ沢、右に下の川、宮田東沢、宮田西沢、また谷戸の最奥に荒田ノ入があ46-3.jpgる。そして富田ノ入の西方には天竺山があり、その東側山腹に伊奈石の石切場跡である石山ノ池がある。
 草堂ノ入を左にやり、谷戸を保全するボランティアの方々のための小屋をやり過ごし、谷戸道を進むと富田ノ入の入口の分岐点にくる。そこに大きな「横沢入MAP」と記した絵看板が立っている。通常はこのまままっすぐ横沢小机林道に進むのがよい。その場合は荒田ノ入から釜ノ沢、釜ノ久保をへて峠を越えて下れば秋川街道に出る。しかし天竺山の石切場跡のある石山ノ池に向かうには絵看板横の富田ノ入から石山ノ池へ向かうことになる。富田ノ入の谷戸道をほんの少し入った所に道標があり、「富田ノ入をへて石山の池」と「尾根道をへて石山の池」が記されている。46-4.jpgすなわち石山ノ池へは2通りの行き方がある。「富田ノ入をへて石山の池」の道をとればこのまま谷戸の突き当りまで行き、そこから崖を上るルート。今一つの「尾根道をへて石山の池」は右手の細い急坂を一気に上って尾根道を進む方法だ。ここでは比較的安全な後者の「尾根道をへて石山の池」のルートを採ることにする。
 尾根道は幅1mほどの狭い山道で注意を要するが太陽が注ぐ明るい道だ。道なりに進むと道標があり、「富田ノ入」「石山ノ池」と記されている。ここは富田ノ入最奥の崖の上に当たる所だ。ほどなく杉や桧の林の中に大きく抉られた窪地が現れる。こ46-5.jpgれが石山ノ池だ。露天掘りされた跡で底には少しばかりの水が溜まっている。採掘された石の残骸が池の中にも周囲の山肌にも無造作に散乱している。池のほとりに山神社の石塔が1基ひっそりと立っている。石工達が安全を祈願して造立したものと思われる。石山ノ池を後にして天竺山の山頂を目指す。道標に従い高圧線の鉄塔を左に見て細い急坂を上りきるとそこが標高310mの山頂だ。山頂は狭いながらも平坦で、北東方向は樹木が払われ横沢入周辺の山並を遠望することが出来る。山頂には旧三内村の鎮守三内神社の小社があり、南側には急階段の参道がある。参道を見下ろすと杉桧林の中を遥か下まで続いている。
 これより帰路に入る。ここからは武蔵五日市駅へ出るのが距離的にも時間的にも得策だ。先の高圧線の鉄塔を右にやり、石山ノ池方面を避けて山道を下って行くと、やがて横沢小机林道の峠に出る。林道をうねうねと下って行くとやがて車両の行き交う秋川街道に出る。街道の坂を下り武蔵五日市線のガードをくぐれば武蔵五日市駅に至る。(つづく)



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ぼくあずさ

原田環爾様
愉しく貴記事拝読しました。非常感謝。大戦末期に伊奈中平にある母の実家に縁故疎開した私、大本家の野嵜が横沢から山田の堰脇までの水路を引いたと聞いており、その背景を調べています。横沢に出掛けて遊んだこともあります。
Liebe Gruesse,
by ぼくあずさ (2021-04-30 09:09) 

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