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論語 №104 [心の小径]

三二四 子のたまわく、南人(なんじん)言えるあり。いわく、大にして恒(つね)なくんば、以て巫医(みい)を作すべからずと。善いかな。その徳を怛にせずんば、或はこれに羞(はじ)を承(すす)むと。子のたまわく、占(うらな)わざるのみ。

                法学者  穂積重遠

 「恒なし」は一定の主義がなく心の変り易いこと。「巫医となるべからず」とよむ人もある。それだと、易者にも医者にもなれぬ、ということになる。

 孔子様がおっしゃるよう、「南国の人のことわざに、『移り気で恒なき人にかかっては、易者も八卦が立たず、医者も匙を投げる。』とあるが、いい言葉だ。実際それでは学問も修養もできたものではない。また『易経』に『その行に一定不変の道徳標準がなと、とんだ恥辱を受けることがある。』という意味の言葉があるが、それについて孔子様がおっしゃるよう、「それは.言わなくてもわかるほど確かなことじゃ.」

 「占わざるのみ」の意味がハッキリしないが、中井履軒の「この理確然、実に占いを待たざるなり。」という説明によった。

三二玉 子のたまわく、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子は和衷協同(わちゅうきょうどう)するが、附和雷同(ふわらいどう)しない。小人は附和雷同するが、和衷協同しない。」

 前に「周して比せず、比して周せず」とあったのと(三〇)、だいたい同趣旨。

三二六 子貢聞いていわく、郷人(きょうじん)皆これを好(よみ)せば何如。子のたまわく、未だ可ならずと。郷人皆これを悪(にく)まばいかん。子のたまわく、未だ可ならず。郷人の善き者これを好し、郷人の善からざる者これを悪むに如かず。

 子頁が、「郷里の人皆にすかれるような人が善人でありましょうか。」とおたずねしたところ、孔子様が、「そうとも言えぬ。」とおっしゃった。そこでさらに、「それでは郷里の人皆ににくまれるようなのがかえって善人でありましょうか。」とおたずねしたら、孔子様がおっしゃるよう、「そうとも言えぬ。郷里の善人にすかれ郷里の悪人ににくまれるのが善人じゃ。」

 きわめて平凡だが、またきわめて確実な真理だ。議員選挙などもここに問題がある。かつて選挙粛正ポスターの懸賞入選標語に、「よき人よく見てよく選べ」というのがあった。作者なり選者なりが、「よき人のよしとよく見てよしといいし、よしのよく見よよき人よく見つ」という万葉の本歌を知っていたのかどうかわからぬが、口調もよく、意味も深い。初句の「よき人」は「よき人を」とも「よき人が」ともとれるが、要するに、選ぶ人が「よき人」であってはじめて「よき人」を選び得るのである。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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