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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №34 [文芸美術の森]

第六章 個展の会場にて 5

                  早稲田大学名誉教授  川崎    浹

「私は、人から紹介されて知り合った人間は信用しないのです」

 マダム・マサコ来訪の翌日、私の紹介で宇佐見英治とのちに『湯川秀樹論』を執筆する詩人高内荘介が野十郎個展を訪れてくる。
 高島さんは私たち三人に昼食をおごってくれた。途中で半ば冗談とも真顔ともつかずにこう言った。「私は直接知った人間は信用するが、人から紹介されて間接的に知り合った人間は信用しないのです」。借地の件をはじめそういう例が多数あったのだろう。
 画家には鼻筋から額にかけて何かつき抜けたような表情があったが、このときはつき抜けるというより、少しつき放す言い方をしたように私には思えた。ふたりの詩人は冗談でうけとめることもせず、黙って聞いていたが、私はまずいなあと感じた。
 現代のように詐欺が横行する時代には、「紹介された人は信用できるが、紹介を通さない人は信用できない」と聞く。これはあの頃もそうだった。人が信用できない俗社会では紹介こそが信用への一歩である。それが事を円滑にはこぶ習慣になっている。「私はだれかの紹介がなければ会わない」という人が多いのに、高島さんはそれと逆のことを言う。
 たしかに画家と私は偶然あちこちで遭遇して知り合った。とはいえ《月》(口絵且に感嘆し、『芸術新潮』に紹介の労をとり、好奇と親愛の念で個展の鑑賞に、つまり一種の表敬訪問をしてくれた相手に「信用しません」というのはどういうことだろうと私は思った。
 宇佐見さんもビルマ戦線で二ケ月間歩きどおし、敗走に敗走をかさね、力尽きてへばる者は見捨てられる、地獄の淵を覗いた人だ。ぶじ英軍の捕虜収容所に収容された翌日は、なおも足が前へ前へ出て動こうとし、出たがる足を押さえるのに苦労したという。「苦労人」である。戦後十年は虚脱状態に陥っていたが、のちに彫刻家ジャコメッティに知遇を得、「ものを見る目」を培った。しかも「自由に向かって開かれた」ジャコメッティとい
う人間に魅了された。宇佐見さんは「文学」とは「人を見る」行為でもあると考えていたので、私は逆に宇佐見さんから見返される高島さんの像が気になった。
 宇佐見さんは知る人ぞ知る深い知性と詩精神にすぐれたエッセイストである。一見穏やかな、ユーモラスな人で、魅力的な声のよく透る、顔も、表情もそれに相応しい人だった。
 いまだに私はあのとき高島野十郎がとった言動を理解しかねている。私よりひとまわり以上年長の二人の詩人を、私の同輩ぐらいにみたのかもしれぬが、私も事前に二人についての最低限の情報はあたえたはず。
 高島さんは美術雑誌の中原佑介氏の批評など物の数に入れていなかっただろう。また画家についての美術批評そのものが的はずれだと思っていたかもしれず、まったく問題にしていなかった可能性もある。

 高島さんは自分のことを説明して「絵を描くことを楽しんでればいいのです」と言った。
 画家は長い手を振りまわしながら私たちの前で「在るに非ず、また在らずに非ざるなり」と自分の信念を披露したが、何度か聞かされていたので、私にはありふれた内容のよぅな気がして、二人の詩人が感銘をうけているとはとても思えなかった。
 宇佐見さんもその後高島さんの動静については関心をもたなくなった。
 だがいま思うと、その日のエピソードには高島野十郎のすべてが詰まっていた。実際、少なくとも私が紹介した人びとのだれも、長年の交友に及んだ者はいなかった。それでも宇佐見さんだけは善し悪しを公平に見分ける是々非々の人らしく、画家の没後、目黒区美術館で開かれた野十郎展に、私には言わずひとりで出かけ、一堂に展覧された野十郎の絵の響き合う開放的な鏡面効果につよい印象をうけたらしい。人と作品は別だ、肌は合わな
いが、絵はすばらしい、と思ったようだ。
 のちに宇佐見英治は『方円漫筆』で円形のもつ意味、さらには月の光と闇の関係についてふれた「月輪」の章で密教の観法のひとつ、月輪(がちりん)観を紹介しながら野十都の絵《月》を掲載している。
 野十郎は月をイメージする観法を知っていたにちがいないが、私も本人からそこまでの話は聞かなかった。かれが措いた《月》はもちろんかれ自身の目をとおしての月である。

 二番目の挿話は、「絵を描くことを楽しんでればいいのです」と高島さんが言ったことで、私は生意気にもこれを、相手の質問をはぐらかす画家の韜晦(とうかい)衒(てら)いだと思い、日誌で辛らつに批判している。これほど世俗を離れてストイックに暮らしている画家が「楽しむ」という悦楽を生活の信条にしているとは思えなかったが、後年かえりみるに、野十郎が学問の研究より画家の道を選んだのは、絵を描くことから離れられなかったからだ。かれはその行為を宗教者からは「魔業」と呼ばれるほどに忌避されている悦楽であることを十分に認めていた。
 だれにしろ「楽しい」と感じる仕事に向けては、自分では制御できぬ道筋と資質によっ ていざなわれる。いうまでもなく、そこにはしばしば苦悩も待ちかまえているが。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍堂

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