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祖道傳東Ⅱ №24

第二十四図「深草雨潤V

     画  傅 益瑤・文  曹洞宗大本山永平寺

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《紙本塁画彩色》 九〇×一二五 軸装

 道元禅師が帰国して京都の建仁寺に暮らし始めました。当時の京都は、干ばつや飢饉(ききん)が続いて、疫病が蔓延するなどその社会は病弊していました。
 栄西、明全和尚の亡きあといつまでも建仁寺に留まっていても、わが道は成らないと判断した道元禅師は、建仁寺を離れる決心をして深草に一年ほど閑居いたします。
 深草の安養寺に移られた道元禅師は、「只管打坐」による新しい教えを集まった人々に説きました。
 深草での道元禅師は、『永平廣録(えいへいこうろく)』の「閑居の偈」で次のように詩を詠んでいます。
  生死可憐雲変更
  迷途覚路夜中行
  唯留一事醒猶記
  深草閑居夜雨声
 雨の降りしきる中、深草のお堂には溢れるばかりの人々が集まっている様子が描かれています。世の中の不安から救いを求める人々の声がこの深草の道元禅師のもとに届き、篤信者が集いて、それに応える道元禅師の愛情溢れる救いの姿がここに表現されています。

『祖道傳東』大本山永平寺


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