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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №40 [文芸美術の森]

          葛飾北斎≪富嶽三十六景≫シリーズ

          美術ジャ-ナリスト  斎藤陽一

          第6回 「甲州(こうしゅう)石班沢(かじかざわ)」

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≪「ベロ藍」のみの彩色≫

 多色摺りの連作というイメージがある「富嶽三十六景」46図の中には、意外に思われるかも知れませんが、「藍摺」(あいずり)のみ、すなわち「ベロ藍」の濃淡のみで摺り出した作品が10点もあります。
 この「甲州石班沢」(こうしゅうかじかざわ)もその中の1点です。

 この図に描かれている富士山は、甲州側(現在の山梨県側)から見た姿です。この絵の題名は左上の四角の中、「富嶽三十六景・甲州石班沢」と書かれている。「石班沢」を「かじかざわ」と読ませているのですが、実際には「鰍沢」です。
 鰍(かじか)という魚の別名が「石斑(●)斑魚」(いしぶし)と言うところから、誤って「石班(▲)班沢」と書いてしまったようです。

 この地域は、釜無川と笛吹川が合流して富士川となるあたり。富士川は、球磨川や最上川と並んで「日本三大急流」のひとつとされ、川の流れも速く、水量も多い急流として知られています。この絵でも、激しい水の流れとぶつかり合いが描かれる。

 北斎が主要なモチーフとして描いているのは、まさにそのような急流の中に突き出た岩の上に立ち、網を打って4本の綱を操る漁師の姿です。その後ろには、漁師の子どもがうずくまって魚籠(びく)を覗いている。
 激しい流れが岩にぶち当って逆巻き、しぶきを上げる有り様を点描で描き、その奥にベロ藍の層と線描をいくつも重ねることによって、豊かな水量を暗示しています。

40-2.jpg 「構図」に注目しましょう。

 巨岩の左側の上昇するラインが、そのまま、子どもから漁師の背中へと続き、漁師の頭を頂点として今度は右側の4本の綱の下降線につながるという「三角形」の構図が見てとれます。

 そんな漁師の仕事ぶりを遠くから見守る富士山は、靄に包まれてぼんやりと見えていますが、言うまでもなく、そのかたちは「三角形」です。
 つまり、岩や漁師、綱が作る三角形と、富士山の三角形は「相似形」なのです。この二つの三角形がつくる「相似形」の構図によって、画面には、反復のリズムとともに、安定感が生まれています。それだけでなく、この絵にも、“自然と人間の営みを見つめる超越的な霊峰富士”という、「動と静」「俗と聖」という対比が暗示されています。

 この絵は、幾何学的な相似形を使った構図と、藍色だけを使った落ち着いた色調により、凛として引き締まった画面となっています。とりわけ、ベロ藍の濃淡だけで、水の動きや空の青さ、冷たい空気感などを感じさせるとともに、奥行き感まで感じさせる技量は見事だと思います。


≪「初摺」と「後摺」≫

40-3.jpg この図にも「後摺」版があります。
 右図がそうです。

 この版では、岩を緑色に、その左下を褐色に塗っているのみならず、漁師と子どもの着衣を赤に、富士山頂下にたなびく雲を黄褐色にしたりして、「初摺」版に比べると、ずっと明るくカラフルになっています。

40-4.jpg 第3回(「山下白雨」)でも申し上げた通り、当時、評判の良い絵は、摺り増しをしました。現代の出版における「増版」にあたりますね。
   もっとも、浮世絵版画では、その段階になると、版木もすり減ったり破損したりしている状態なので、版木を彫り直すだけでなく、版元の判断で、色彩を変えたりすることもしばしば行われました。もっと売れるように、カラフルにしたり、時には大衆受けのするモチーフを付け加えたりすることもありました。何しろ、著作権思想のない時代ですし、「後摺」の段階では絵師の手を離れているので、版元が自由に裁量するのです。
 この「甲州石班沢」の「後摺」版も、そのような次第で摺り増しされたのでしょう。

 「初摺」版と「後摺」版とを見比べてください。 皆さんはどちらをお好みですか?勿論、市場価値は「初摺」の方が高いのですが、好みはそれぞれですから。

 次回は、「富嶽三十六景」から、北斎の造形の妙を発揮した「尾州不二見原」と「遠江山中」の2作品をまとめて紹介します。


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