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浜田山通信 №271 [雑木林の四季]

パブリックヘルスと荘田智彦さん

            ジャーナリスト  野村勝美

 もう何人も若い友人に先立たれた。知り合いの先輩は一人もいないのだから、先日なくなった外山滋比古先生は、私が「サンデー毎日」の書評欄担当の時のお付き合いだったが二歳上で、主に翻訳書を見てもらったのだから、何だか仲間のような感じだった。古い友人の名前は荘田智彦といい、公衆衛生の専門家。1944年生まれだから私より15歳も若い。私と同じ早稲田の露文科を出て物書きの道を選んだ。大脇游というペンネームでも執筆し、カネミ油症、ヒロシマ、水俣問題を追求した。ここから保健婦、公衆衛生へ突き進むのは一直線で、全国各地の地域衛生の守り手との付き合いが始まる。「保健婦―普通を守る仕事の難しさ」「保健婦 魂の反抗」という主著が家の光協会から出版され、彼の主宰で「保健婦サミット」まで開催された。私は「毎日ライフ」という健康雑誌の編集もやっていたことがあり、その縁で保健婦サミットで講演をやらされた。全国から若い保健婦が300人ほど集まりその熱気に圧倒された。
 保健婦はその後男もなることが可能になり、呼称も保健師(看護師も同様)となったが、地域の医療保健にはかけがえのない重要な存在だ。東京の保健所は子供の時の予防接種でおせわになるくらいで保健師の存在は影が薄い。新型コロナウイルスでいまやテンヤワンヤだが、公衆衛生をあずかる保健所は日頃から行政も大事にしなければならないところだ。
 荘田さんは他にも「小便部隊の子どもたち」「同行者たち」「イグゾ-スト・ノイズ」「てんかん革命」などの著書を出し、公衆衛生にかんしては大エキスパ^-トになった。10年ほど前からパブリックヘルスに関わる同志たちと「風」と題するeメールを月刊で発刊した。ジャーナリストの仲間や昔の保健師グループや難病を抱える人たちがどんどん投稿して公衆衛生にかかわるメッカになりつつある。
 荘田さんとの付き合いも元はといえば、戸井田道三先生だ。ルポライターとして、宮城県の古い郷土芸能を取材に行った時偶然出会い、帰りの列車で上野まで話しは尽きず、その後も先生のお住まいの辻堂通いが続いた。私との出会いは先生の葬式だったが、二人で先生の棺の前で語り合った。'88年3月、私は59歳、荘田さんは44歳。私はえらそうに「ぼやぼやしているとすぐ僕の年になるよ」とお説教したそうだ。当時荘田さんは何冊かの著作を出していたはずだ。その後毎月のように渋谷のホテルで女子栄養大出版部長の吹春秀典さんの3人で雑談会をやり公衆衛生について多くの事を教わった。
 好事魔多しというかパブリックヘルスが一般的になり「風」の同人、読者も増えているとき、荘田さんは悪性リンパ腫という難病に襲われる。町田の北里大病院に入院、見舞いに行った時は元気でその後回復したが、昨年再発、帰らぬ人となった。元気だったら新型コロナで活躍していたはずだ。合掌。

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