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いつか空が晴れる №89 [雑木林の四季]

    いつか空が晴れる
          -島唄―
                 澁澤京子

 大学の夏休み、旅先の沖縄・阿嘉島で体調を崩した私は、泊まっていた小さな民宿のお爺さんとお婆さんに看病してもらい、無償の親切を受けたことがあった。
熱は2日ほどでひいて、私の身体の回復のためにとお婆さんが卵を買ってきてくれ、野菜チャンプルーを作ってくれたのだった。(あとで知ったが、村では卵は高価で貴重なものだった)
帰ろうとすると、まだゆっくりしていきなさいとお婆さんにひきとめられて、私はそれからさらに一週間ほどその小さな民宿のお世話になった。私は、東京の悪い男に騙されていなくなった孫娘にとてもよく似ていると言われ、孫娘の代わりにたいそうかわいがってもらったのだ。
お爺さんは足が悪かったけど漁師をしていた。今ではモズクを採っていて、夕食はモズクが多かった。

大きな神棚のある暗い部屋があって、そこには「海の神様」が祀ってあった。漁師だったお爺さんとお婆さんは「海の神様」をとても大切にしていた。
「ここの部屋に泊った若いカップルがいて、その若い女がこの神棚を気持ち悪いって言ったんだよ、そしたらその女は溺れて死んだよ。神様を気持ち悪いなんて言うからさ・・」と、お婆さんは話してくれた。

私の泊っている部屋の窓を夜中に何度かコツコツ叩く音がして怖くて眠れなくなったことがあった。沖縄には(夜這い?)の風習があったのだ。
(悪い男がついたら大変だ)ということで、私が海で泳ぐのは、お爺さんが海でモズクを採っているときか、お婆さんが畑仕事をして海を見張っている時に限られた。
私が沖の方まで泳ぐと、お婆さんが畑仕事を辞めて心配そうにこちらを見ている姿が見えた。
私はすっかり二人の孫娘気分でくつろいで、呑気に毎日を過ごしていた。

ちょうど終戦記念日の夜、いつものようにちゃぶ台で三人で夕食を食べていた。テレビでは終戦記念日の特集番組がかかっていて、捕虜に対して旧日本軍が日本刀を振り上げる映像など、本土では放映されないような旧日本軍の蛮行の映像が次から次へと放映された。とてもショックであったし、居心地の悪い、いたたまれないような気持ちになった。無言になってしまった私を気遣って、お爺さんがチャンネルを変えようとすると「いいんだ、この子には観せるんだよ。知っておいた方がいいんだ。」と、お婆さんが制止した。
私は彼らにとってはやはり(ソトナンチューあるいはヤマトンチュー)だったのだ。そして(ソトナンチュー)の人間には到底知り得ない沖縄の人の苦しみと痛み。

私が帰る日、那覇でステーキを食べるようにと、お婆さんが私にお小遣いをくれた。別れるとき、お婆さんの目は涙でうるんでいた。

今でも阿嘉島のことを、まるで神話の世界にいたように思い出すのは、お爺さんとお婆さんの無垢な心と、「海の神様」に対する信仰もあるかもしれない。沖縄には美ら(ちゅら)という言葉があって清らかという意味らしいが、本当にまっすぐで清らかな心の人たちだった。そして何よりも沖縄の美しい海。「海の神様」は、ちょうど、マタギが「山の神様」を信仰するように、彼らにとっては、生活の中に溶け込んだ親しみやすい神様だったように思う。(沖縄では、ユタとかノロという、巫女さんとかイタコのような役割の女性がいるという話を聞いた。そうした精霊や神を媒介するのは女性なのである)

『小説・琉球処分』大城立裕著を読んだ。明治維新前までは、長いこと薩摩藩により貪欲に搾取され暴虐に耐えていた琉球王国。維新後は日本政府の傘下に組み込まれ、琉球を清国との軍事拠点にしようともくろみ、清国との国交を断絶せよと命令する明治政府と、清国と友好的な関係を持っているため板挟みになる琉球政府の困惑・・琉球王朝の尚氏は王位を剥奪され、首里城は日本政府に明け渡される・・
沖縄が唯一の戦場地となったのも、戦後沖縄が米軍基地として勝手に提供されたのも、辺野古基地の反対デモに暴力で圧力をかけるとか、歴史的経緯で考えると日本政府としてはごく自然の流れだったということがわかる。
要するに、日本政府が沖縄を軍事拠点として利用しようとしていたのは明治維新後からであったし、あまりにも当たりまえのように長いこと沖縄を蹂躙して圧力をかけ続けてきたのだ。
あまりにあたりまえになっているので、それがひどい差別であるとも暴力であるとも、その自覚すら持っていないのじゃないだろうか。

よく、「自然に対立せず、穏やかで平和な日本人」のようにいわれるけど、私には日本人の自己欺瞞の言葉としか思えない。真に「自然に対立せず、穏やかで平和」なのは沖縄の方で、だからこそ沖縄は近代化に遅れてしまったのではないだろうか?明るくおおらかで猜疑心を持たない素朴な民族だからこそ、薩摩藩に暴力的に搾取され、その後、日本政府にもいいように利用され、国土をふみにじられてきたのではないのか?

最も争いを嫌う国に、米軍基地が置かれているという皮肉。

私の思い出の中の沖縄の海は、あまりに美しくてそして悲しい。


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