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梟翁夜話 №69 [雑木林の四季]

「酢昆布談義」

                翻訳家  島村泰治

昆布が好きだ。出汁昆布を出汁にせずに、生を程々に刻んで酢漬けにしてつまみ食ひするのが好きなのである。昆布の味がそのまま活きて、えも云はれぬ美味さだ。書きものが捗り体にいいとなれば、これはもう手離せない。

この酢漬け昆布も品物で味が変わる。食品問屋へいくと其れが良くわかる。慣れてくると袋の外からその違ひが分かり、やはり違い相応の値段がついてゐる。如何でも良いやうな昆布は痩せこけて腰がなく、どう漬けても知れてゐるから、生で食ふとなればまず敬遠する。中間の手頃な昆布はしっかり切り揃えてあり、体裁は程々だがよく見ると如何してもみ実が薄めな部分が切り込んである。値段が2千円前後で手頃なことから、常用するには勢ひこのクラスのもので手を打つ。羅臼の上等となると3千円も半ばを越へて、手元不如意の折、懐関係で大抵敬遠するのがこの手の昆布だ。

何のわけか、ある時このクラスの逸品を愚妻が奢ってくれたことがある。ノギスで測りたくなるほど肉厚で、切り込むのにひと刃格上の鋏を取り出し、頃合に漬け上がるのに何割か余計に酢を食ったりもして、なるほど違うものだと述懐した覚へがある。歯切りした時の昆布の味が、気無しか別次元なものに感じたのもその時だ。

味と云へば、日高あり羅臼ありの昆布だが、産地の違いはともかく、どうやら昆布は牛肉に似て、部位で味わひが違うのではないかと思ふのがどうだらう。牛肉なら筋肉の張り具合、脂肪の多い贅肉のつき具合で食べ分けるわけだが、其れが昆布でもありはしないか、と思わせるほど味が違ふ。水底から水面へ上がって波に漂ふ昆布に牛に似た動きがあり、部位によって味が変わるなどは、落語のネタほどの話だらうが、酢漬け昆布の味に凝ってみれば満更貶しきれない部分があるのだ。

酢昆布と云へば、古希を越える輩は「都こんぶ」と云ふのを連想するだらう。活動(おお、何とアンティークな語感!その昔、映画を活動と呼んでゐた)を見ながら煎餅と代わり番こに摘んだあの酢締めの昆布、思へばあれが原点だったかも知れぬ。何とけちくさいほど小ぶりな箱に詰まった数枚の酢昆布は、しっとり感と云ひ昆布味と云ひ、子供達には手離せない駄菓子だった。今でもあるか、その辺の事情には疎いのだが、仮に都こんぶがいまもあって、さあだうだと問はれても、わが手製酢昆布あらば見向きもせぬことだらう。それほどわが酢昆布は美味なのである。

さうだ、この酢昆布の美味の裏には要の要素がひとつある。酢の違ひだ。ここで使はれる酢は千鳥酢と云ふ、知る人ぞ知る銘酒ならぬ銘酢だ。純米酢で豊かな酢味は比類がない。これが羅臼の肉厚昆布に滲みると無類の味を醸す。云ふならば、昆布の味が酢で引き出されて漲(みなぎ)るのだ。これにアルギン酸の自然の甘味が塗(まぶ)されるから例えやうもない美味が生まれる。二つのよき素材が絡み合って三、四倍の味覚効果を顕(あらわ)す。醍醐味である。

酢昆布にはさらにこんな複合作用もある。腰のある昆布を噛み切るには強靱な歯が必要だ。噛めば弱腰の歯は歳を追って強くなる。老化で弱まるはずの歯が酢昆布で逆に強まり、消化を助け、胃腸の機能が強まる。循環系がしっかりした体は故障知らず、運動量も増えて呼吸器系も安定する、と。云ふならば、酢昆布が健康体を生むと云ふことになる。

その効能か否かは知らず、筆者は八十五歳には稀な健康に恵まれて、五臓六腑に毛ほどの憂ひもない。羅臼の特級品ならずともよし、これからも何某かの昆布を千鳥酢で浸けて座右に置かう。煙草も吸わず酒も呑まず、何やらの理由で好みの甘味を抑えられた身には、この酢昆布はまさに天与の救ひだ。呵々。

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