SSブログ

検証 公団居住60年 №62 [雑木林の四季]

第三章 中曽根民活
Ⅺ 転換きざす住宅政策と公団の変質-90年代の居住者実態

     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

1.行きづまりをみせた臨調・中曽根路線
 臨調「行革」政治がはじまって10年、中曽根「民活」旋風にあおられた住宅政策は1990年代にはいるや行きづまりをみせた。
 臨時行政改革推進審議会(第2次行革審)は90年4月の最終答申で行革の9年間をふりかえり、「土地・住宅問題の広がりは社会の安定と活力の維持にとっても大きな問題を投げかけている」と記し、社会不安を引き起こしかねない深刻な状況にいたっていることを認めざるをえなかった。
 つづいて同年6月に住宅宅地審議会は、第6次住宅建設5カ年計画(1991~95年度)の策定に先だち、答申「経済社会の発展に対応したゆとりある住生活を実現するための住宅・宅地政策について」をだした。この答申も、とりわけ大都市地域における住宅事情の深刻さに言及して、「中堅層にまで広く拡大した良質な住宅の取得難や資産格差の拡大等による社会活力の低下、都心地域の人口空洞化等による良好な都市空間や都市コミュニティの崩壊等が危惧され」、もはや「社会的な問題」であるとまで事態の重大性を警告する。わが国が「世界有数の経済大国」になったものの、「住宅および住環境の整備水準という点ではまだまだ欧米諸国の整備水準に及ばず、これが国民がその経済力にふさわしい豊かさを実感できない原因の一つとなっている」
年期の住宅ストックおよび良好な住環境の形成は、わが国の最も緊急かつ重要な政策課題となっている」という。
 ときは、中曽根政権が終わり(87年11月)、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、一内閣へとつづく時期である。宮沢首相の施政方針「生活大国」の演説は92年1月であった。ちなみに、このあと1995年まで細川護照、羽田孜、村山富市内閣とめまぐるしく政権が変わった。
 行革審と住宅審の両答申は共通して、住宅政策の潮目の変化を色濃く感じさせる。臨調行革10年後の住宅事情の現実とポスト中曽根の政権のゆらぎと迷走を考え合わせると、これらの文書にあらわれた変調は、臨調・中曽根路線の行きづまり、破綻の表白ともいえる。答申の執筆者たちはこれまでの路線に何らかの手直しが必要と思ったにちがいない。しかし、こうした事態をもたらした原因の分析、責任の所在の究明、まして失政の反省はみられない。逆にこれをテコに、公共住宅政策を「高齢者対応」「真に公的援助を必要とする世帯」への救貧措置に接小化する一方で、住宅政策から「公共性」をはぎ取り、基盤を市場原理におきかえる転機にしたにすぎなかった,

『検証 公団居住60年』 東信堂

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。