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梟翁夜話 №68 [雑木林の四季]

「足利愛しや」

                翻訳家  島村泰治

コロナ禍で足止めされて半年にもなる。出好きでなくとも疫病が蔓延してゐる巷には出たくもない。だが、それにも限りがあらうと云ふもので、コロナ状況に兆しが見えるやうになると、ここがいい、あそこがいいと脚を伸ばす相談が始まる。それでなくても出好きでドライブ好きと云ふ愚妻は、あれこれ候補地を仄めかしては遠出の算段をしてゐたが、頃合いを見計らったか、ある日一計を案じて此方の様子を窺ってきた。足利はだうだ、と云ふのである。

足利と云はれて思ひ当たる節がある。愚妻はひょんな動機で吉川英治を、それも彼の大作「私本太平記」を完読して大いに尊氏づいてゐたから、その辺りが動機だらうと感づく。訊ねてみれば左の通り、尊氏から後醍醐話、新田義貞のあれこれなど滅法詳しい。義貞は滅ぼされて里は今は太田だと、なかなかの通になってゐるではないか。吉川英治からめっきり中世史に馴染んでゐる。大いに結構だ。

よからう、県外罷りならずの縛りが解け次第足利まで脚を伸ばすことに。満開の花頃をコロナに台無しにされて、名物の藤はとうに観られなかろうが、何はさておき花なら足利フラワーパークだらう、と今盛りの花菖蒲と紫陽花でコロナ疲れを癒さうと衆議一決、梅雨の晴れ間を見計らって出掛けた。

足利フラワーパークは初めてではない。ここの名物「大藤」の圧巻は印象的で、それが観られないのは残念だが、この日の花たちもそれなりに観もの。コロナ禍をもろに受けた施設だから、コロナ明けの客を見越して精魂を込めたのだらう、宣伝の花菖蒲が素晴らしい。色とりどりもさることながらあれやこれやの種類が妍を競って咲き誇る風情は行って見ぬことには分からない。県境を初めて越えるこの日、混雑にはほど遠いがかなりの人出で、行儀よくソシアルヂスタンスを保ちながらの花見物はそれ自体がなかなかの見ものだ。

帰り際に、ユーフォルビア「怪魔王」なる観葉植物を一鉢、それになかなかよくできた梟の置物を一つ土産に求める。

パークを出て織姫神社へ。正しくは足利織姫神社だ。ご存知、足利は1200年余を超える機場で銘仙が名産だ。宝永2年、足利に機織の社がないとは何事か、と時の藩主戸田忠利が、天照大神の絹の衣を織ってゐたと云ふ神服織機神社の織師、天御鉾命と織女、天八千々姫命を祭って建てたのがこの織姫神社。現在の社殿は昭和12年の建立だから10年生まれの筆者とほぼ同い年だ。

社の麓に蕎遊庵という蕎麦屋がある。今日はコロナ以来の外出を期して蕎麦が食ひたいと申し出てゐたところ、ここで一枚手繰らうとの愚妻の案だ。云ふには及ぶ、と暖簾を潜って見ればぐんと寂の効いた佇まひ、入ってすぐの棚に枕崎の節が積んであり、その隣に羅臼昆布の山が見える。出汁に凝った蕎麦屋と見破る。石臼引きの蕎麦をだう喰わせてくれるのか楽しみである。

生来の蕎麦好きでかえしの好みで店を選(え)るのだが、店頭に枕崎と羅臼を並べからには出汁にもひと味違いありやなしや、楽しみが勝って共に大盛りを注文する。右の棚になにやら詰まった瓶が逆さに並んでいる。見掛けぬ仕掛けだ。何だらうと訝るうちに蕎麦が来る。

久し振りも手伝って蕎麦がまことに美味い。切り水が温(ぬる)いか喉越しがやや締まらないが蕎麦は手頃だ。それは措いて、出汁がいい。あの枕崎と羅臼は伊達ではないやうだ。かえしの醤油がもうひと声というところだが、出汁に支へられて気にならないのが妙。

見返せば、右隣の瓶中のものは削り節ではないかと気づいて店主に訊ねてみれば左の通り、節の水出しで「根本式出汁取り」だと胸を張る。煮出してこそと思ふ勿かれ、水でしっかり出汁が抜けるとこと。瓶の中味は節の滓(かす)だと云ふ。

滓だと聞いた愚妻が色めき出す。滓なら「うちの鶏がさぞ歓んで啄(ついば)むだらうに」とひと言。店主が応じて「いくらでもお持ち下さい」。それではと貰った出汁滓がひと抱え、思わぬ土産に礼を尽くして店を出る。また来たい、と愚妻。ただとは云ひながら出汁滓欲しさに足利通いもなるまいが、さて。

名にし負う大藤は季節を外し、ひょんな不運で足利学校は観られなかったが、花菖蒲と紫陽花のフラワーパーク、思はぬ土産付きの美味い蕎麦に満足して、足利を後にした。

帰りの車中は足利話に華が咲く。徳川と同じ15代も幕府を重ねながら、後醍醐帝の影を脱せず遂に朝敵の汚名を拭い抜けきれなかった足利は哀れである。歩いてみれば野も山もつましい里、足利はもっと見直されていい。足利愛しや、である。


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