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いつか空が晴れる №87 [雑木林の四季]

    いつか空が晴れる
        -幸福の設計~ショパン プレリュード第7~-
                   澁澤京子

 子供の時、父の日とか父の誕生日にプレゼントしたのは設計図用の方眼紙だった。父は休みの日には家の設計図を書くのが趣味だったのだ。父のライティングデスクの横には、テラスから海が見えるような家の写真の載っている外国の様々な建築雑誌がたくさん積んであった。小さかったのでよく覚えてないけど、最初の横浜の家は父が設計した家で、最上階からは海が少し見えたらしい。ところが安普請だったため、台風で屋根がはがれ、しばらく祖父の家に避難して生活した。祖父の家の庭には、父が学生の時に寝起きしていた山小屋のような素朴な小さな家があって(これも父が設計)、壁には父の字で「・・山のあなたの空遠く、幸ひ住むと人の言ふ・・」と、カール・ブッセの詩が書いてあった。
次に暮した大森の家も、父が設計したものだった。トイレが家の中心にあるという変な家だった。
それから渋谷の家に引っ越してきたのだけど、今度は母の強い要望により、設計は父ではなくプロに頼んだ。母は、普通の住みやすい家に住みたかったのだ・・

私は子供時代をほとんど父の設計した大森の家で過ごして、家のすぐ近くに住んでいるひろみちゃんという女の子と仲が良かった。ひろみちゃんの家は、今でいうコンクリートの打ちっぱなしの平屋に芝生の庭のある家で、バレリーナのお母さんがいた。よく一緒に遊んだし、泊りにも行った。シンプル・モダンなお洒落な家だったけど、コンクリートの家はとても寒かったのを覚えている。
小学校の同級生の家には、中二階のある家があったり(その頃流行ってたのだろう)、佐藤君という色白の大人しい男の子の家の広い庭には、小さな子供用の家が建ててあり、中に入ると小さな机や積木やおもちゃが置いてあった。(佐藤君があまりにお行儀のいい大人しい男の子だったので、お行儀の悪い私は一緒に遊んでもあまり楽しくなかった記憶がある・・)
隣家の中村さんの家には、門から玄関までのアプローチに、薔薇のアーチのトンネルが作ってあって、五月になると薔薇が見事に咲いていた。(母は小さな藤棚を作ったけど、花が咲いているのを一度も見たことがなかった)

昭和40年ごろの住宅街はとてものどかで、車の来ない路上で子供がボールを投げて遊んでいたし、道を歩いているとどこかの家でピアノを練習している音が時々聞こえてきたりした。あちこちに、草の繁っている空地というものが残っていた。
隣家のピアノや子供の声がうるさい、迷惑だ、といきなり人が殺される事件もなかったし、木の枝や落ち葉が迷惑だとクレームをつける人間もまだいなかった。生活には情緒というものがあったし、人の心に余裕のある、ゆったりした時間の流れるような時代だったのだろう。

ショパンのプレリュード7。~大田胃散、いい薬です~のCMで有名なこの曲を聴くと、子供の頃の住宅街の風景を思い出す。
門の脇にアジサイの植えてある暗い平屋、窓枠が白くてテラスのある別荘風の家、暗闇坂沿いのうっそうとした森のような庭の大きなお屋敷、坂の下にはかかりつけの小児科があって、急な坂の上にはいつも小柄なお婆さんの坐っている小さな煙草屋があった。黒い鉄の門の、いつも秋田犬のいる家・・
近くのテニスコートからは球を打つスコーンという音が聞こえてきて、家で見るテレビでは、『ただいま11人』『七人の孫』や『コメットさん』など、明るいホームドラマが多かった。
私は『サザエさん』に出てくる、昔の日本の生活風景(サザエさんは黒い足袋に下駄をはいて買い物かごを持って歩いている。夕暮れの肉屋の横に、木の電柱がありブリキの傘の裸電球に灯りが灯っている)がとても好きだったし、『鉄腕アトム』ではアトムの住んでいる近未来の円盤型の家にも住んでみたいと思っていた。
明るい未来、というものがあって、まだそれをみんなが信じていた時代だったのかもしれない。

父に似て、私も不動産屋の広告の間取りを見ることが好きで、間取りというのは見るだけで妄想を掻き立てる。道を歩いていて魅力的な家を見かけると思わず入って中がどうなっているのか見たくなる。この間、ネットの不動産広告で売り出されていた井の頭公園近くの一軒家が面白かった。屋上にプールがあり、階下の部屋からプールの水底のゆらゆらが見えるという、現代アートのような一戸建て。また、中庭をぐるりと囲んだ回廊式の住居というものも売り出されていた。もちろん、変な建築物も好きで、赤瀬川源平の『超芸術トマソン』は一時期私の愛読書だったし、式場隆三郎の『二笑亭奇譚』、狂人の建築した不思議な建物の写真集も持っている。

個人的な事情で家を探さないといけないことになり、最近、中古の一戸建てを探して歩いている。古い家というのは、人に雰囲気があるように必ずその家の独特の雰囲気を持っている。入った途端にその家の雰囲気というものがなんとなく伝わってくる。子供を育てて生活を楽しむ人が住んでいた感じの家、お洒落な人が住んでいたんだろうな、という家、本を読んだり音楽を聴くのが好きな人が住んでいた感じの静かな落ち着いた家・・・・どんな家にも独特の文化のようなものがあり、そして、どんな家にも幸福も不幸もあるだろう。

武蔵野の中古の一戸建ての物件を見に行った。小雨の降る日で、車から見える風景がまるで佐藤春夫の『田園の憂鬱』のようで、ところどころにまだ畑が残っているのが見える。
「これから見に行く家の売主さんは、離婚されるので家を売りに出されているんです。」運転しながら不動産屋の若い男の子が教えてくれる。
「今、奥さんは、男の子を引き取って御実家に戻られているんだそうです。」
「偶然ですね・・私もそうなんです。」(まるで私と同じじゃないの)
「最近、離婚で家を売りに出される方はとても多いんですよ。」という話を、不動産屋が屈託ない感じで話してくれるのを聞いているうちに、出窓のある瀟洒な家の前で車は止まった。
リビングには、ほっそりした私と同じくらいの年輩の女性が、マスクをつけて立っていた。
私があいさつすると、恥ずかしそうに首をかしげて挨拶される様子がとても感じがいい。出窓にはレースのカーテンがかかっている。
「もう今は、息子たちは社会人なんですよ。」と奥さんは明るく笑いながら二階の部屋を案内してくれた。
二階が段差になっている洒落たつくりで屋根裏部屋もあって、この家が建った時は、どんなに幸福な家だっただろう。
そう、小坂明子の歌の「あなた」のような家なのだ。
~もしも、わたしが家をたてたな~ら 小さな家を建て~るでしょう~
リビングのテーブルには薔薇の花を花瓶にいけて置いたら似合いそうだし、ほっそりした奥さんはいかにもレース編みでもしそうな女らしい感じの人。

~それが私の夢だったのよ 愛しいあなたはいまどこに~
子供が小さかったとき、この家はどんなに賑やかで楽しかったことだろう・・
子供が小さい時の幸福な時間なんて、本当にアッという間に過ぎていく。

家の売主の奥さんに対する共感と同情のような、何とも言えない複雑な気持ちを抱いたまま、お礼のあいさつをして家を出た。
外はまだ小雨が降っていた。


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