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梟翁夜話 №67 [雑木林の四季]

「Mの死」

               翻訳家  島村泰治

Mが死んだ。男はかう生きるものだと背中で見せて、Mが死んだ。台湾に幸あれとの思ひを総身で貫いて、Mは死んだ。

ひとの死を悼む情念は状況を選(え)らない。どう死んでも死なのだが、さうでもないぞと思わせるなにかが、Mの死にはある。彼は並みの人間ならさうは思ふまい目途のために、見事一命を捧げたのである。母国ならぬ島国、台湾の命運に己のそれを賭けると云ふ、謂うならば法外な生き様を鮮やかに貫き遂(おお)せたのだから、これは凡人には最早正気の沙汰ではない。

ロシア話をさせれば卓抜な論旨を駆使する才覚の持ち主、まともな道を歩めば一角の論客にもなったMがこれぞと選んだ台湾は、彼の関わりでどれほど益したことか、知る人ぞ知るところだ。身を賭して尽くす台湾の帰趨が未だしのまま去る彼の無念は、察するに余りある。いまはただ、黙して彼の魂の冥福を祈るのみである。

60年代半ば、在パリの某反共団体が日本支部を設けて情報目的で某総合誌を出していた。帰国ほどなくこの団体に席を置き、論文の翻訳で同誌に関わっていた私は、ある日、新入りの同年配の青年に引き合わされた。薩摩っぽで闊達な男、見るからにいい奴である。編集かと聞けばあれこれ言を左右して職域を明かさぬ。ならば渉外だらうと高を括ったが、それが見当違いだったのが後に分かる。同総合誌を介して台湾絡みの情報操作を意図してゐたMとの、あれが出会ひだった。

それからどれほどの時間が経ってゐたか、確とは記憶にないのだが、ある時Mはかう云ふことを云った。

「論文などの翻訳で手伝って欲しいんだが、金は大して出せないんだ。どうだろう?」

聞けばひと群れの台湾人たちが国の独立を画してをる。自分も加わってをり、手練れの飜訳者を巻き込んで運動の機関誌の英訳を頼みたい、ついては腕の立つ人を探していたんだが、と私を名指して頼むのである。巻き込まれる意味合いと明け透けに金にはならぬ仕事と云はれて二の足を踏む私を、もう一人の自分が制して曰く、ここで退いては男が廃る、と。

それが私の台湾との関わりの発端である。何本の檄文を訳したことか。私が志していた音楽畑とは縁遠い話に知らず心を盗まれて、いつかな台湾という島国の負う重々しい現実を他人事ならず案じるようになった。その間、世間並みの生活を営むことに汲々としながら、傍に脇目も振らずに台湾一辺倒に突っ走るMの横顔を見ることになる。

台湾の政情は常に穏やかならず、ひたすら台湾人の意識覚醒を叫んでいたMの姿が痛々しく思ひ出される。表参道に潜んでいた彼を訪ねたことがある。ジョニアカをラッパ飲みしながら原稿用紙を埋める青白い顔を、下戸の私は驚きならぬ感嘆の思ひでじっと見詰めたものだ。

Mは死んだ。果たせぬ思ひを残してMは死んだ。滔々たる国際政治のうねり、支那の傲慢とその意図の不条理とが台湾の行く末を常に揺らすさまを歯噛みしながらMは死んだ。今となっては、台湾が遂に独立国として建つ日を期して、彼の霊にジョニクロを一本供えたしと願うのみである。合掌。


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