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日本の原風景を読む №5 [文化としての「環境日本学」]

序 まほろばの里で イザベラバードの奥州路 2 

イザベラ・バード感動の度―米沢平野 1

    早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

神の山々が囲む、東洋のアルカディア
 西南戦争の翌年、明治十一年(一八七八年)七月十三日、英国の高名な女性旅行作家イザベラ・バード(当時四十六歳)が阿賀野川伝いに険しい峠路を徒歩と馬で乗り越え、新潟県境から山形県小国町にたどり着く。快晴の宇津峠に立ったバードは眼下に広がる米沢平野の景観の「気高い美しさ」に心を奪われ、欧州の人々が憧れる楽園、エデンの園、東洋のアルカディアと絶賛する。今から一四〇年の昔、近代化以前のこの地の夏の日に、バードは何を見たのだろうか。
 「エデン」とは人類の始祖が住んだという楽園、旧約聖書に記された「アルカディア」は、ギリシャのペロボネソス半島の中央部、高山を巡らせた地味ゆたかな隔絶された楽園である。美しい田園風景の英国に育ち、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、ハワイをすでに旅していたバードが、なぜこれほどまでに山形米沢平野(盆地)の風景に共感を抱いたのだろうか。
 いずれも原題は『日本の未踏の地(Unbeaten Trucks in Japann)』である時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 上巻』(講談社)、高梨健吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)を携え、米沢街道から糠の目街道を経て、あるいはJR米坂線から奥羽本線(山形新幹線)伝いに、小国、飯豊、川西、米沢、高畠、南陽を縫って「アルカディア街道」をゆっくりたどってみよう。
 「好天の夏の日、雪を冠した連峰は陽光を受けてぎらぎらと輝き」(『日本紀行』)「日光を浴びている山頂から、米沢の気高い平野を見下ろすことができて、嬉しかった」(『日本奥地紀行』)。
 眼下を最上川が北へ流れている。「東洋のアルカディア」、理想郷を、バードは江戸から明治へ、彼女の英国をモデルに近代化へ向かおうとしていた東北の一隅に発見した。
 米沢の平野は南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉の町赤湯があって、申し分のないエデンの園で、「鋤ではなく絵筆で耕されて」おり、米、綿、とうもろこし、たばこ、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、瓜、きゅうり、柿、あんず、ざくろをふんだんに産します。微笑みかけているような実り豊かな地です。繁栄し、自立した東洋のアルカディアです。(『日本奥地紀行』)

 アルカディア街道が南北に縫う置賜(おきたま)盆地を、夏も雪をとどめる吾妻、蔵王、朝日、飯豊と登山者憧れの山々、山そのものが「神」とあがめられる「神体山」がぐるりとり囲んでいる。高山に囲まれて孤高を保つ、ギリシャの神々の里アルカディアをバードはそこは潰したのであろう。
 米沢平野’南腸盆地)は日本の花園の一つである。木立も多く、潅漑がよくなされ、豊かな町や村が多い」(同書)。当時の農民たちは小作人であったが、一戸の耕地面積は現在の倍強の約四ヘクタールと広かった。その上、鬼面川扇状地の一帯は美田で知られる。現在でも水田一〇アール当たり一二俵(七二〇キロ)を収穫する(全国平均は一〇俵弱)。バードは「圧迫とは無縁-東洋的な専制の元では珍しい光景である」、と記している。キリスト教徒バードは、そこに旧約聖書に記された人類の始祖たちの楽土、エデンを思い浮かべる。農民たちは小作農であったが、この土地では地主から圧迫されず、〝自分の土地”を自由に耕し、自立して暮らしていたと思われる。


『日本の原風景を読む―危機の時代に』 藤原書店

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