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対話随想余滴 №41 [核無き世界をめざして]

余滴 41 関千枝子から中山士朗様

           エッセイスト  関 千枝子

 この間のお電話で、食べ物を作るのが面倒になる時があると言われ、介護の支援が切られていると聞き、心配していましたが、余滴40が届き、ほっとしました。介護の支援という仕組み、介護のヘルパーさんも忙しくて嫌われるそうで、すぐ切られるようですが、ともかく何とかしてきてもらい、助けてもらうことです、中山さんのおうちは広いし、風呂の掃除なども大変だと思いますし、例えば布団を干すとか、シーツのような大きなもの干すの大変ではありませんか?できないことはできないと言い、助けてもらうことです。それから人に来てもらうことは、いいことです。中山さんは、風呂で事故のことなど思うと心配で風呂に入れないなど言っておられましたが、そのためにも人が来てくれることはいいことだと思います。私も風呂の掃除(ちょっと深いので、大変なので)、トイレの奥のところ(手が届かない)、シーツなど大きなものを干す、などをやっていただくよう契約しています。ちよっとした助けで、安心して一人暮らしができればまことにいいことですから。

 さて、コロナウイルスの「自粛」のさまをご自分の若い頃に重ね合わせて書いておられますが、中山さんは「自粛」などしておられませんよ。学校にも行き、小説も書き、サラリーマン生活もされ、ちゃんと社会生活をやっておられたので、今のコロナの、人と人との交わりを禁じるような「自粛」の要請とは全く違います。ウイルス感染を防ぐために仕方ないと、みな思い、協力しているのですが、何とも腹立たしくなることがあります。同年配のヒバクシャ、外に出ようとすると家族に、止められます。彼女は、大丈夫私は元気なのに、と思いながら、もし感染したら家族に迷惑をかけると思うと外に出られない。そして閉じこもる。てきめん、足が弱ります。健康にもよくない。私は「コロナ症候群」といっていますが。
 一番困るのは、集会室などがとじられてしまったことです。予約していた集会も全部中止になり、大騒ぎになりました。緊急事態宣言が解除になっても、三密はダメ、人との間隔を二メートル明けろ。マスクをつけろ、手洗い励行。
 コロナは人との接触、それも唾液やしゃべった時のしぶきで感染すると言われ、軽症者や感染御自覚がない人からもうつると言われれば、誰だってたじろぐし、怖い。〔不急不要〕など言われたらもうなるべく家の閉じこもるしかありません、しかし、「不急不要」って何でしょう。
 ようやく会議場の閉鎖が収まり、集会が再開、ということになっても、「三密」のはいけない」ということで、例えば五〇人の会場でも一六,七人しか入れないことになります。部屋を貸すところからきつく言われますので。これでは貧乏な市民団体は、大きな部屋を借りなければならず、ものすごく高い参加費を参加者からとらなければやっていけない。大きい部屋が取れなければ、参加をお断りせざるを得ない、これでは、どんな団体だってやっていけません。
 三密をあそこまで言う必要があるのか、私は疑問です。人と人との間隔を二㍍とれと言っても、込み合う路上で二メートル明けられますか?スーパーは今も混んでいます。レジのところに線を引き、間隔をあけて並べというので、長い長い列が棚の中まで続き、棚のところは人でごったかえしています。この方がよほど「三密」だと思うのですが。しかし、市民の間に染み付いた恐怖感――私だってコロナの感染力を無視するわけでなく、感染しても症状が出ない人があり、そんな人からもウイルスが出ているという事実を知っています。それでも、この「三密」騒ぎは何だろうと思います。とにかくこれを厳密に言えば、市民の会だけでなくあらゆる芸能、カラオケなどもやっていけません。資本のある大きな劇場は観客層を減らしてもなんとかって行けましょうが小劇団はアウトです、
 そんな中でこのごろはやっているのがズームというのかオンラインの会議、私は始め、大変難しく思えて断っていましたが、先日、素晴らしいオンラインのシンポジウムに参加し、これはこれで素晴らしいと思いました。
 その会は、私たちの子どもの年代が主催した会です。早稲田の同学年の友のお嬢さんも入っています。{彼女は史学科ですが)。彼女らは五年前、若者から若者への手紙という仕事をやりそれを本にまとめました。つまり、一九四五年の若者(戦争体験者)の証言に、二〇一五年の若者が手紙を書くのです、証言の中には自分の辛い思い出だけでなく、兵隊にとられ、中国大陸に行き、ひどいことをした、つまり被害と加害の両方を体験した人もいます。事実にしっかり向き合い戦争とは何か突き詰めます。凄まじい証言に、今の若者たちが、しっかり向き合って手紙を書きました。すばらしい本になりました。
 この企画者たちは、本にしただけで満足せず、シンポジウムを開いたり本の英訳をしたり頑張っていたのですが、本が出てから五年目の今年、シンポジウムを企画しました。ところがコロナ騒ぎです。会が開けない状況の中で彼女らが考えたのが、オンラインシンポジウムです。私も参加(聴衆として)を求められ、私の技術で参加できるのか心配しながら、この会との今までの縁もあり参加申し込みました。参加は意外に簡単にできました。皆はきはきと平和や戦争について語るのに感動しました。また登壇者の中には今、ドイツにいる人、沖縄にいる人もあり、それがごく当たり前のように語り合う、こんなことがオンラインではできるのだと思い、びっくりしました。コロナ騒ぎでこの技術が広まったわけですが、これはいいことですね、不思議な気がします。参加者の私たちも手を挙げればしゃべることができ、それが画面に出るのですが、え、本当かしら。私のパソコンの部屋、掃除が悪くて汚いので画面に出ちゃうと大変と、手はあげませんでしたが、本当にびっくり。外国在住の方などが参加(登壇)するシンポジウム、私たち貧乏な市民の会では考えられない「贅沢」これが簡単にできるのですから凄いですね、
 内容も核抑止力の壁に守られての沖縄の基地、そのなかで戦争はない。しかし、これが平和と言えるのか、とか、ドイツでは平和という言葉より、人権、民主主義ということがよく言われるという発言もありました。ドイツもナチを担いだ加害の国、そして最後は庶民はボロボロに被害を受けた、その国の人の「態度」として、非常に感銘を受けました。
 そんな中、六月二七日、竹内良男さんお久しぶりの『ヒロシマ連続講座』がありました。コロナのため、二〇人しか参加できないということです(普通なら四〇人は入れる部屋です)。参加受付を始めたらあっという間に二〇人になったそうです。この日の講師は丸木美術館の岡村幸宣さんなので、私もぜひ行きたかったのですが、この日を待ちわびている人の多さに、私は遠慮し、ほかに竹内さんや岡村さんと話したいこともあったので、会の終わった頃行く事にしました。
 コロナ騒ぎの中でどんな様子か心配でしたが、申込者で欠席した人もなく、竹内さんも、いろいろ考えて、模様を映像にとり(協力してくれる人あり良かったですね)ユーチューブで流すということで、よかったですね。会は四時までのはずですが熱心な質問が相次ぎ四時半ごろまで伸びました。この会場は民間の施設です、この竹内さんの講座を最初から開いているところ。協力的で、七月からでないと貸室再開できないのに、この日からできることにしてくださり、人数もまあ、二〇人くらいならいいではありませんかと言ってくださったそうです(自治体の会場ならこの規模の部屋なら一五人くらいに抑えられそうです。間隔を二メートル明けろ!で)。でも、私この参加者の中から感染者が出るなど到底思えません。小池都知事は緊急事態宣言を解除その後も感染者が減らない(このところ連日五十人以上)のに、アラームを出さない、夜の町の接待を伴う店で従業員の大量感染者が出ているのにそちらはあいかわらずで、この会議場の厳しい制限はゆるめません。不急不要の「三密」禁止です。どうも私は、反体制の集会などを恐れる政策としか思えないのですが。
 岡村さんに、先日の中山さんの余滴四〇を差し上げておきました。(もう、知の木々には送ってあるので)とても喜んでおられました。
 あと喫茶店でお茶を飲みながら話し合いました。この店、変な印(座っていけないという罰点印。駅の中のコーヒーショップなどこれで座れない籍の方が座れる席より多く、客も来ず、商売にならないと嘆いています)もなし、結構隣り合って座ったのですが、皆平気でしゃべりました。お茶を飲むのならマスクは外さなければいけないし。でも、唾液が飛ぶこともなかったと思いますよ。感染防止を言うなら、もう少しほかの方法があると思います。
 例えば学校なども机と机の間をあけたり大変なようですが、子どもはどうしても休み時間などで互いに近寄ったり抱き合ったりじゃれます。二メートル以内に近づくな、など無理です。何かおかしいと思います。新学期を九月からにとか変な意見が出ていましたが、私ならこの際学級の定員を減らし(二五人くらいに)先生の数を増やすべきだと思いますが、そんなこと考えもしないようです。先生は生徒の分散従業で同じことを二度も三度も教えたり、くたくたのようです。
 コロナ騒ぎで、被爆年の年なのに、さまざまな集会が中止、広島の平和式典も参加者も限られ普通の市民はあの日の午前中は式典の傍にも行けないそうで、どうなっているのかと思います。私のフィールドワークも開催できず、学校などの慰霊祭もしないところが多いようで、わが校の場合もどうなるか、でも私はせっかく宿もとってあるし広島に行こうと思っています。
 私の第二県女を朗読劇なのになさっている方も今年は中止相次いでいるのですが、ある会の方から七月二七日に、大阪府島本町で講演できることになったという通知を五アただ来ました。まだ詳しいことはわかりませんが、こんな状況の中でも被爆の話、核廃絶の思いは、言い続けたいと思っています。

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