雑記帳2020-7-1 [代表・玲子の雑記帳]
2020-7-1
◆丸山エイさんのこと
◆丸山エイさんのこと
小川地球村塾で知り合いになった丸山好一さんのお母さん、エイさんは91歳。夫亡き後、息子が一緒に住もうと建てた二世代住宅に住むことを断って、一人暮らしをつづけています。
エイさんの家は青梅にあります。好一さんの住む立川から車で約1時間。東京アラートが消えてステップ3になったところで、エイさんを訪ねました。
出迎えてくれたエイさんのお元気さにまずびっくり。顔もつやつやとして、足取りの軽さはとても91歳にはみえません。
玄関でヒメダカのおでむかえ
エイさんが用意してくれたこころづくしのごちそうです。
自家製の梅干し
モロッコインゲンの味噌和え
、フキとあげの煮物
メインのちらしずし 干しエビでダシをとった味は抜群
「小豆を煮るとき、鍋で煮詰めていたのだけれど、今日は、沸騰したら火をとめて、冷めたらまた火にかけて、それをなんども繰り返したのよ」
初めてこの方法でやってみたという小豆はふっくらと煮崩れないで仕上がりました。いくつになってもはじめてのことを試してみる好奇心もエイさんの元気の秘密でしょうか。甘すぎず程よいかげんの小豆をお土産にいただきました。
初めてこの方法でやってみたという小豆はふっくらと煮崩れないで仕上がりました。いくつになってもはじめてのことを試してみる好奇心もエイさんの元気の秘密でしょうか。甘すぎず程よいかげんの小豆をお土産にいただきました。
これだけを用意するのにエイさんは1週間かけたそうです。
店に車でつれていくという息子を振り切って、バスで買い出しにでかけ、一度に買えないので、思い出してはなんども行ったということでした。こんなに手をかけて準備してくださったのですから、おいしくないわけがありません。
お喋りの最中、おとなりさんがみえて、いただきものがありました。エイさんはご近所との付き合いを大切にしています。
庭はエイさんの畑です。堆肥を入れて何年もかかって作り上げた、手入れの行き届いた様子。広くはないが、一人には十分です。
店に車でつれていくという息子を振り切って、バスで買い出しにでかけ、一度に買えないので、思い出してはなんども行ったということでした。こんなに手をかけて準備してくださったのですから、おいしくないわけがありません。
お喋りの最中、おとなりさんがみえて、いただきものがありました。エイさんはご近所との付き合いを大切にしています。
庭はエイさんの畑です。堆肥を入れて何年もかかって作り上げた、手入れの行き届いた様子。広くはないが、一人には十分です。
エイさんは旅が好きです。テレビで見るのももっぱら旅番組。さすがに今は遠出はできませんが、84歳の時、孝行息子と14日間の北海道旅行をしました。高齢者の長旅を心配する声もありましたが、この経験が今でも自信になっているそうです。
エイさんが住んでいる家は、昭和50年代に建てられた、棟梁自慢の家です。
欄間や天井の造りは今では手掛ける人はいないといいます。ゆとりのある浴室やユーティリティはうらましい限り。住み慣れた居心地のいい家からは離れられないものです。
一人になって台所は改修したそうですが、そのほかはもとのまま。けっしてバリアフリーにはなっていません。結構急な階段を今でも毎日上り下りしています。
一人になって台所は改修したそうですが、そのほかはもとのまま。けっしてバリアフリーにはなっていません。結構急な階段を今でも毎日上り下りしています。
家族4人が暮らしていた家は、一人住まいには広すぎるほどですが、台所も床もピカピカに磨き上げられて、エイさんのきちょうめんさがうかがえました。
それに比べて我が家の乱雑さよ。断捨離できないままちらかっているものが多すぎました。
それに比べて我が家の乱雑さよ。断捨離できないままちらかっているものが多すぎました。
エイさんの実家は奥多摩の山の中、白丸にありました。
戦時中男はみんな戦地に行って人手が足りなかったことから青梅線・鳩の巣駅に勤めることになりました。ご主人とはそこで出逢ったということですから、当時としては珍しい職場結婚でした。
「山育ちなので何も知らず、家事も畑もみんな教えてもらいながらやってきた」
結婚後は、この時代を生きた家族の大多数がそうであったように、戦後の日本の復興を担った夫をささえる日々が続きました。働き方改革とはほど遠かった時代に、専業主婦が夫を支える構図は国内では長く続きました。夫たちはひとりでストレスを抱え込み、どこの家庭も今では考えられない苦労やドラマがありました。かくいう我が家でも父のちゃぶ台返しは日常茶飯事でした。
戦時中男はみんな戦地に行って人手が足りなかったことから青梅線・鳩の巣駅に勤めることになりました。ご主人とはそこで出逢ったということですから、当時としては珍しい職場結婚でした。
「山育ちなので何も知らず、家事も畑もみんな教えてもらいながらやってきた」
結婚後は、この時代を生きた家族の大多数がそうであったように、戦後の日本の復興を担った夫をささえる日々が続きました。働き方改革とはほど遠かった時代に、専業主婦が夫を支える構図は国内では長く続きました。夫たちはひとりでストレスを抱え込み、どこの家庭も今では考えられない苦労やドラマがありました。かくいう我が家でも父のちゃぶ台返しは日常茶飯事でした。
丸山家は国鉄一家です。
父親に反発しながら、息子の好一さんも国鉄職員になりました。
地球千鳥足を連載中の小川夫妻と丸山さんが知りあったのは、国鉄が民営化されたあとのJR南武線の矢川駅です。夫妻が千鳥足の旅に出る成田までと乗ったのが矢川駅、そこが丸山さんの職場だったのが縁でした。
以来、「小川地球村塾」のパーティの常連になっています。
父親に反発しながら、息子の好一さんも国鉄職員になりました。
地球千鳥足を連載中の小川夫妻と丸山さんが知りあったのは、国鉄が民営化されたあとのJR南武線の矢川駅です。夫妻が千鳥足の旅に出る成田までと乗ったのが矢川駅、そこが丸山さんの職場だったのが縁でした。
以来、「小川地球村塾」のパーティの常連になっています。
山で育ったエイさんは山道を上り下りすることで、丈夫な体を身に着けることが出来たのは幸運だったと思います。一度かかった結核も自然治癒したそうですから。
今、90歳を超えて元気なお年寄りはずい分ふえてきました。『知の木々舎』の執筆者の中にも、それに近い年齢でかくしゃくとした方は何人もいらっしゃいます。ただ、こんな風に年を取れたらいいなとは思いつつも、誰もが丈夫に生きられるとは限らない。几帳面とはいいがたい私にとって、エイさんの暮らし方をすっかりまねするのもむつかしい。それでも、これならできそうと思えることを見つけた一日でした。
今、90歳を超えて元気なお年寄りはずい分ふえてきました。『知の木々舎』の執筆者の中にも、それに近い年齢でかくしゃくとした方は何人もいらっしゃいます。ただ、こんな風に年を取れたらいいなとは思いつつも、誰もが丈夫に生きられるとは限らない。几帳面とはいいがたい私にとって、エイさんの暮らし方をすっかりまねするのもむつかしい。それでも、これならできそうと思えることを見つけた一日でした。
2020-06-28 06:59
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