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バルタンの呟き №76 [雑木林の四季]

                       「女の一生」

            映画監督  飯島敏宏

 きょう、ママンが死んだ。で始まるアルベール・カミュの小説ではないけれども、僕と4歳しか違わない、僕の親父の後妻つまり継母が、一昨日(6月25日)、突然亡くなったのです。享年92歳、死因は、老衰。
 僕の末弟が家督を継いで管理するエレベーターなしの小さなビルの5階に独居して、炊事洗濯はもちろん、近所づきあいもまったく弟たちの手を借りることもなく自分ひとりでこなして、ほんの10日ほど前までは、階段の上り下りはもちろん、杖を突くこともなく歩き回って、老人会の催す踊りやら、カラオケ、麻雀まで楽しんで、1階の貸部屋で開かれる“お茶と映画を楽しむ会”に町内の老人たちに声がけをしたり、いわば近所の高齢老人仲間で一番の元気印だった継母が、弟たち夫婦に、「具合が悪い」と訴えて床につき、ほんの数日、自室で、要介護申請で認定されて訪問介護と医者の往診と点滴による栄養補給を受けながら、自己呼吸のまま、痛み苦痛の様子もなく、眠るように老衰死したのです。緊急事態宣言こそは解除されたものの、相変わらずの新型コロナウイルス感染最中でしかも高齢という配慮で、弟たち家族と親族のみに死亡を知らせて、一昨日27日にはもう、葬儀社が確保した斎場に設けられた祭壇を前に親族のみの会葬で、地元菩提寺の僧正の手で戒名が付き、白帷子装束に紅色の袴すがたの継祖母は、祭壇を華やかに飾っていた色とりどりの生花に埋まって出棺、読経合掌に送られて炉の扉が閉じられ、火が点じられた小一時間後に開かれた扉から引き出された台の上には、残された骨として現れて、親族が援けあって捧げ持つ箸に運ばれ、係員が、慣れた手順で各部の説明をしながら素手で拾い集めて組み上げた、座禅合掌の祈りの形をした咽喉仏の骨を頂点に置いて、骨壺に収まってしまったのです。近頃の風習に慣って、戒名の認められた位牌と骨箱に収まった遺骨に向けて初七日の法要を済ませる頃には、すでに充分高齢である僕たち子供世代の話題は、喪った悲しみよりも、むしろ、若い後妻として僕たちの前に現れ、長年に亘って父親に仕えた継母の終息が、家族親族に長い介護の手を煩わせることもなく、病院での手術や延命治療もなしに、長年独り自由気ままに暮らした自室で、痛み苦しみの目にも遭わずに、ほとんど完璧に理想に近く逝去したことへの感嘆と、むしろ羨やみが、大勢を占めていたのです。

 僕とママ(カミさんです)にとっては、僕の実母でもなく、同居の経験もない、僕とは姉弟ほどの年齢差でしたし、継母というよりも、倒れた後の父の面倒をよく見てくれた元気な後妻さん、という感覚だったのです。
「まあ、心残りのない一生だったのじゃないかな」
 斎場のコロナ対策で、法要後の清めの宴席もなく、葬儀社が用意した名店の弁当その他セットになった「テイクアウト」のような会葬御礼の紙袋を下げての帰り道は、むしろ、コロナ緊急事態宣言解除後の経済活動ヨーイドン政策で一時に緊張の緩んだ電車やタクシーに乗って、三蜜感染に怯え、消毒に気配りしながら帰宅したものです。
 そして、重症軽症の誤嚥性肺炎を数度繰り返した高齢者である僕は、未だに、朝から晩まで、テレビをつければ、専門家が、あれだこれだと指示して見せる、新型コロナウイルスから命を守るために行うように指導する手順通り、玄関に入るなり、消毒手洗い、嗽いはもちろん、脱いだ靴や、礼服まで消毒して、お継母さんの葬儀一切は終了、「
 丸一日が、過ぎました。
「お継母さん、初婚だったのかしらね・・・」
「さあ、確かめたことないし、実家の人と逢ったこともないし・・・兄さんは亡くなったと聞いたけど・・・」
「もうちょっと、お化粧濃くしてもよかったのにね、衣装に赤があったのだから・・・」
 ママの話は、死に顔に飛んでいます。今様の経帷子は、白装束ではないのです。
「うん、でも、穏やかないい顔していたじゃないか。先月亡くなった✕✕さんは、口が開きっぱなしで別人みたいだったけど・・・」
 カラフルな祭壇の生花は、全て棺に投げ込まれてお継母さんの遺体を包み込み、神社の巫女さんの紅袴のようなものをはかされていたので、継母の威厳さえ漂った死に顔が、不似合いなほどに映ったのです。
「お骨、すごく立派で、沢山あったわね。すごく骨太で、骨壺が一杯々々だった・・・健康だったのね、お継母さんは、きっと」
「僕の時は、壺がスカスカだろうね。骨が細いから・・・」
 でも、僕には、遺骨の頂点に置かれた、係員が手慣れた素手使いと、適宜な世辞を含んだ解説付きで組み上げたあの座禅合掌の咽喉仏は、死に就いた命とは別物の、なにか物理的な残存物としか思えないのです。
(生命とは何だろう・・・死に就いた命は、どうなって、何処にいるのだろう・・・)
 若いころは、単純に、物理的な永遠の無に過ぎないと考えていた死後の世界に、歳をとった近頃は、何かが存在しているような、或いは存在していてほしいという思いが強くなっているのです。
 生前から「すべては無であり、人生は一場の夢」と唱えて、色紙をせがまれても、手ぬぐいを染めても恒に「夢」と記して世を去った後輩実相寺昭雄君の生命にしても、逝って久しい今でも、なお、そのあたりに浮遊して、生への煩悩去りやらぬ僕を眺めて、皮肉な笑みをたたえているのではないか、などと思いめぐらす僕に、笑いさえ含まれたママの声が降りかかります。
「お墓の中、いっぱいいっぱいじゃないのかしら、もう・・・」
 ママの思考は、墓石下部にある石室内の骨壺の様態に跳んでいるのです。
 都心の古刹にある墓地は一坪が僅か三尺四方ですから、石室が、僕の長兄を含んだ三代に亘る骨壺、しかもダブルスコアの骨壺でいっぱいじゃないか、という事です。
「坊さんにそう言われたらしい。あいつ」
 家業と土地財産の家督を継いだ弟には、菩提寺の墓を守る義務もあるのです。
「俺ん時には、墓石を建て直さなけりゃなんねえ・・・」
 弟が、そう言って苦笑していたのを思い出しました。
「パパ(僕です)のお継祖母様と、実のお母さんと、お継母さんが、一緒になるわけね、先にいる二人の夫と・・・お母さん、かわいそう、他人の寄り集まりで・・・」
 ママは、苦笑しています。家付き娘として幸せに育ったはずの母でしたが、幼少のうちに母を失い、あの厳しい継母の下で育て上げられ、義務教育を終えてすぐ働きづめる内に18歳で夫を迎えて、4人の子供を育て、夫の死後迎えた継父との間に女児を設け、飢餓と恐怖に喘ぎながら大家族を支えてあの戦争と、戦後の飢餓を乗り越えて、漸く、これからという52歳で、不治の癌に取り付かれて一生を終えてしまった僕の母に、ママは、見知らない相手ながら、女性としてのあわれを感じているのでしょう。僕たちの結婚直前に、僕の母は亡くなっているのですが、墓には、お祖父さんが再婚した継母が居て、先夫(僕の実父)と再婚した夫(僕の継父)がいて、今度はそこにその後妻が入ってくるのですから、母は、大変です。
 
「49日法要と、納骨は、わが家族だけで行わせてもらいます」。家督と菩提寺の墓を継いだ弟の挨拶通り、仏法の決まりで七七忌前の新盆の墓参りでは、お継母さんは、まだ成仏できずに、自室の経机にポツンと置かれた骨箱の中に留まっている訳です。
「でも、二人、案外、馬が合うかも知れないわよ。そうよ、すずさんと、キヨ子さんだもの、だいじょうぶよ」
 僕の墓は、三男坊で新家ですから、数年前に、近くの霊園にあるので、ママは気楽?に笑っていられるのですが・・・



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