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検証・公団居住60年 №59 [雑木林の四季]

第三章 中曽根民活

 X 地価バブルのなかの団地「改良」2 国立富士見台団地の場合

     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

2.一室増築

 わが団地で1部屋増築の話が公団からあったのは1985年だった。
 1965年に団地ができ、入居して数年後には子どもたちが成長して、もう1部屋あればと思う家庭は多かった。しかし20年もたつと、当初入居の家庭では息子・娘たちは巣立ちはじめ、親たちだけの生活になるのもそう遠い先ではなく、いままで狭さに辛抱してきたのだし、当初から家賃が3倍になったうえ増築分が加算されるのだから、増築はもういいとする家庭も少なくなかった。それでも若い世帯には、これから大きくなる子どもがいて、また「子ども部屋」が当たり前の風潮になり、増築を望む声も切実だった。
 言わずもがなのことながら、公団は、狭さの解消をもとめる居住者の要望にこたえる形で収益増をもくろんだ。増築分の家賃は、その用地を新たに取得したとして何百倍にもなった時価と、建設原価から算出するので、増築完成はバブル盛期の88~89年、月に2万2~5千円の家賃加算になる。住人にとっては、ベランダが狭くなり、増築部分の北側の部屋は昼間も薄暗い行灯部屋になるのはあきらめるにしても、家賃が5~6万円から一挙に7~8万円にはね上がるから考えこんだ。
 棟単位でイエスかノーを決め、イエスと決まった棟でノーの世帯はその棟を出なければならなかった。その棟を出た戸数だけ、ノーと決めた棟から増築希望者が転居できた。
 自治会では85年6月から86年末まで時間をかけきめ細かく説明会や棟ごとの話し合いをもった。わたしは役員として、イエスでもノーでもない立場であちこちの棟に出向き、みんなの意見を聞き、助言もしてきた。隣り近所の者どうしが家庭の内情までさらけ出してあんなに本音で話し合ったことはかつてなかった。夫婦同席して、亭主は狭くてもいいから飲みたい、女房はぜひもう1部屋ほしい、飲むのをひかえてと争う場面などもあった。
 わたしが住む棟の増築が完成したのは88年4月、娘たちはもう家を出ていて夫婦ふたりだったが、いまさら別の棟に移る気にはどうしてもなれなかった。
 増築がまとまった棟は、対象52棟のうち9棟と予想より少なかった。新築としての加算額がそのままつづき家賃が割高なせいか、いま増築棟には空き家が目立って多い。

『検証 公団居住60年』 東信堂

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