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コーセーだから №64 [雑木林の四季]

コーセー創業者・小林孝三郎の「50歳 創業の哲学」 25

             コーセー(株)OB  北原 保  

高級品で信用高める
大手三社にまで成長

経営の布石

  コーセー化粧品の発展をみると、創業時代といわれるのは昭和21年(1946年)の闇経済から昭和27年(1952年)の北区栄町に工場建設されるまで。第一期といわれる時代は、乱売から再販制度が生まれ、高級化粧品のアルビオンが創立されて、北区堀船町に4階建ての本社が完成した昭和32年(1957年)までである。
  第二期は、コーセーが高級品「ラボンヌ」や「オーリック」を出し、アルビオンからは「デューク」を出したキャンペーン時代である。このころ狭山工場が完成して、自他ともに業界の五指に数えられる実力になった。
 「マラソンでいえば、二期までは追いつかれるより追いつけ追い越せでした。800社もあった中から他をぬきさって、やっと先頭グループに入ったのが昭和36年(1961年)ころでしたからね」
 小林社長にすれば、アルビオンの創立は、他社を追い越す戦略のひとつだった。が、訪問販売をめぐり小売店との間で1年間ももめたおかげで、アルビオンは有名になり、結果は、コーセーが高級品を造る技術と実力を持っていることを示した。
 当時、資生堂は業界のナンバーワン、制度品メーカーとして群をぬいて伸びていた。コーセーは、じっと時期を見ていたがその時、高級品の需要層がいちばん多い資生堂のドルックス製品より100円ぐらい高くした「ラボンヌ」という高級品を昭和32年(1957年)に自信をもって開発した。
 「いま考えると、アルビオンで最高級品を出し、コーセーで高級品「ラボンヌ」を出したのは、エーボン対策にもなりましたが、実は日本の高級消費層をねらった高級品対策だったんです」
 「ラボンヌ」誕生にこんな話がある――小林社長は高級品開発で『コーセーにとっては本格的な高級化粧品なのだから日本一の品質とデザインをねらえ』という条件をつけ、デザインはデザイン部の若い女性、多比羅春代さん一人に指令した。小林社長という人は1回で『うん』といわない。すばらしいデザインではあったが、多比羅さんもデザインを2回やり直し、3度目にパスした。
 そのデザインを見る眼はたいしたものである。そのデザインがデザイン協会のADCデザイン賞を受賞した。社長はアルビオンとラボンヌでデザイン賞を受けて鼻高々「今でもラボンヌのデザインは変わりませんが、レッテルをビンにはらずにキャップにまきつけるというのはいいアイデアでしたね」という。アルビオンにつづいて「ラボンヌ」もさいさきのいいスタートを切り、売れに売れたというのだ。
 小林社長はアルビオン創立いらい、コーセーとの二頭馬車の馭者である。コーセーが「ラボンヌ」の高級品を出すと、アルビオンは昭和37年(1962年)「デューク」という高級化粧品を出す。すると昭和37年(1962年)にコーセーはオーリックという高級品の発売を企画した。コーセーの本格的な高級品政策がこのオーリック製品にあった。
 「オーリック」はアルビオンより少し高いくらいのものでこのときは多比羅女史がヨーロッパのデザイン研究に2ヵ月間、旅行して帰ってきた『みやげ』が実ったもの。パリの宮殿のある模様をデザインしたもので、このときは3種類ぐらいの「オーリック」のデザイン群をつくったその中からこれはすばらしいということで現在のオーリックの意匠が誕生したわけだ。
 アルビオンは高級化粧品で信用を高めてコーセーの競争相手に成長していった。
 「企業というのは、内と外の二面で競争していかないとダメですよ。ここまでコーセーが発展できたのは、やはり昭和26年(1951年)いらい優秀な人材を入社させて布石をしいておいたことが大きかったですね」
 もちろん、昭和30年代は日本経済の成長期といわれ、各企業は成長したが、そのなかで化粧品は『不況知らずの産業』といわれ、コーセーは、一般品やその当時の大手だった制度品メーカーなどを追いぬき、制度品メーカーとして大手三社に成長した。その秘密は小林社長の『経営の布石』であったといえる。10万円の資本で創業したコーセーは、着々と資本を増資して昭和37年(1962年)には8000万円の資本の会社になり、埼玉県狭山に約10万6000平方メートルの工業用地を買収して、いよいよ狭山工場の建設に着手した。
                                      (日本工業新聞 昭和44年11月6日号)


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1957年発売の「ラボンヌ」シリーズはコーセー最初の高級品。現在でも化粧水や乳液などは変わらない内容、変わらないデザインで発売が続けられている。

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1962年発売の高級品「オーリック」も現在でも発売が続けられている。発売当初は1個箱に入れられていたが、最近はボトル本体にラベルが貼られるいるデザインに変更されている。

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1962年11月、オーリック発売時には全国で発表会が開催された。

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