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論語 №100 [心の小径]

三一四 子のたまわく、もし王者ありとも、必ず世にして後(のち)に仁(じん)ならん。

              法学者  穂積重遠

 「王者」は、聖人の徳を具え天の命令を受けて帝王たる者。「世」は、一世代すなわち三十年をいう。「世」の字が元来「三十」なる字の組合せだ。「四十にして仕え、七十にして事を致す」というところから、人間一人の働く期間が三十年という計算になる。

  孔子様がおっしゃるよう、「たとい王者といわれるほどの聖主が出ても、天下を教化して一人の不善を為す者なき人徳あまねき国とするには、どうしても三十年はかかる。」

 本章も前章と同様、王者の徳をたたえるよりも、むしろ教化の困難を言われたものと思う。

三一五 子のたまわく、いやしくもその身を正しくせば政に従うにおいて何かあらん。その身を正しくすること能わずんば、人を正すことを如何せん。

 「政を為す」は帝王のこと、「政に従う」は大夫のこと。すなわち本章は大夫に対する訓言だと説明されるが、事柄は帝王とても同じで、孔子様が毎度言われるところだ(二九五・三〇八)。

 孔子様がおっしゃるよう、「もしも自分の一身を正しくすることができるならば、政治の局に当るなどは何でもないことじゃ。自分の一身すら正しくすることができないで、どうして人を正しくすることができようぞ。」

三一六 冉子(ぜんし)朝(ちょう)より退く、子のたまわく、何ぞ晏(おそ)きや。対えていわく、政ありき。子のたまわく、それ事ならん。もし政あらば、われを以(もち)いずと雖も、われそれこれを与(あずか)り聞かん。

 冉有り(ぜんゆう)が大夫季氏の執事であったが、ある日季氏の家の事務所から退出してきたとき、孔子様が、「どうしてこんなに遅くなったのか。」と問われた。冉有が答えて、「マツリゴトがありましたので、時間がかかりました。」と言った。孔子様がおっしゃるよう、「それは国政ではあるまい、李氏の家事だったのだろう。もし国政ならば、わしも以前は大夫だった重臣なのだから、今は非役だけれども、ご相談にあずからぬはずはあるまい。」

 季氏が専横で、他の同僚重臣にも相談しないで国の大事を私邸で家臣らと許許するのを孔子様がけしからんことに思われ、わざとそらとぼけて冉有をたしなめられたのである。ところでこれは「朝」を私朝として、「政」を国事、「事」を家事と見る解釈に従ったのだが「朝」は公朝なり、「政」も「事」も国政にて大事と小事となり、とする説もある。中井履軒いわく、「朝はこれ公朝なり。時に政季氏に在り、故に冉子は家宰(かさい)なりと錐も亦随従して事を弁ずるなり。大を政といい、小を事という。当に国と家とに分属すべからず。けだしおよそ興作挑発し及び新たに号を発し令を出だすものは皆政なり。例に循(したが)うものは皆事なり。政は宜しく詢謀(しんぼう)僉議(せんぎ)すべし。諸大夫与り間かざるの理なし。事はすなわち必ずしも然らず。この時実はこれ政なり。しかるに孔子をして与り聞かしめず。故に孔子聾(つんぼ)を装いてこれを規切せるなり。」


『新訳論語』 講談社学術文庫


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