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私の中の一期一会 №215 [雑木林の四季]

              拉致被害者横田めぐみさんの父、横田滋さんが死去した!
  ~「何もしなけりゃこういう結果になるのは当たり前」と飯塚繁雄さんは怒る~

         アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 拉致問題が遅々として進まない中、拉致被害者横田めぐみさんの父親・横田滋さんが6月5日午後2時57分老衰のため87歳で死去した。
 傷心の妻早紀江さん(84)は談話を発表した。
「多くの方々に励ましやご支援を頂きながら、めぐみを取り戻すために主人と二人で頑張ってきましたが、主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です」と静かに心境を述べた。
 安倍首相と金正恩委員長との会談は実現の見通しも全く立っていない。
 横田滋さんの死去を受けて、安倍首相は「何としても安倍政権で解決する決意だ」と語ったが、決意だけなら誰でも出来る。解決の糸口さえ見いだせない現状は絶望的だと言ってもいいだろう。
 拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さんは「何もしないで放ったらかしにした結果がこれなんです。何も手を打たなければこういう状況になるのは当たり前なんです。具体的な対応を即、実践して欲しい。もう時間がない」と政府に訴えるシーンをNHKのニュースで見て私は胸がつまった。
 怒りと悔しさに満ちた飯塚繁雄さんの表情を忘れることが出来そうにない。
 14日の午前中にネットに配信されたNST新潟総合テレビの記事に、北朝鮮による拉致問題を初めて世に広めるキッカケを作った人物が紹介されていた。
 現在、長野県軽井沢町に住む元産経新聞の記者、阿部雅美さん(71)という男性がその人である。
 横田めぐみさんが行方不明になってから20年目の1997年1月、阿部さんは「新潟の中学生だった少女は北朝鮮に拉致された」という情報を手に入れた。、
 安部さんはこの情報を横田滋さんに伝えたが、まだ“拉致”など知られていない時代で、滋さんも半信半疑の様子だったという。
 20年という長い間、めぐみさんを探し続けても何の手掛かりも掴めなかった。
 そこへいきなり“北朝鮮だ”とか“拉致だ”とか言われても何のことか分からなくて当然だったかも知れない。
 しかし、娘が突然姿を消してから20年も暗いトンネルの中にいた父親の目に“淡い希望の灯り”が見えた気がしたことも確かで、その日の横田滋さんは“何時になく饒舌だった”と阿部さんは回想している。
 1997年2月3日、阿部雅美さんの原稿は産経新聞の1面に掲載されて、大スクープ記事になった。
 横田滋さんは、「もし報道されるように拉致ということが事実なら、“今まで目撃者がいない”、“遺留品や書置きもない”ということも納得できる」と語り、めぐみさんは北朝鮮で生きていると確信するようになったという。
「拉致被害者家族会」が発足したのはスクープ記事掲載の直後、97年3月のことであった。
 他のメディアも拉致問題を取り上げるようになり、世間は拉致問題を少しずつ認知するようになっていった。
 滋さんは家族会の代表に就任して、すでに知られているように全都道府県に足を運び拉致被害者の救出を訴えて回ったのである。
 早紀江さんも常に滋さんに寄り添い行動を共にした。
 口の重い滋さんに代わって発言することもしばしばであった。
「拉致?そんなものデッチ上げだろう・・」と言われたり、署名活動を1時間しても署名は思うように集まらなかったりしたのも今ではいい思い出になっていた。
 これまで全国で1400回以上講演したというから全く頭が下がる。
 もう10年以上前になると思うが、静岡県の函南町で知人が開催した横田さん夫妻の講演会に私も参加したことがある。
 新幹線の品川駅ホームで偶然、函南の会場へ向かう横田さんご夫妻と遭遇した。
 ほんの短い時間だったが言葉を交わして、ご夫妻を励ましたことを思い出した。
 大学の学園祭に呼ばれたとき、キャンパスを歩きながら「めぐみから、“何で助けてくれないの?”と言われているような気がするんですよ」と滋さんがポツリと漏らした一言を安部さんは忘れることが出来ないという。
 何処にでもいる優しい普通のお父さんがそこにいたからだ・・・
 2002年9月、小泉純一郎首相の電撃訪問によって初の日朝首脳会談が開かれ、北朝鮮側は日本人13人の拉致を認め、金正日総書記は謝罪した。
 だが、同胞の安否については「5人生存、8人死亡」という説明があり、めぐみさんについては「うつ病で自殺した」という思いがけないものであった。
 会談を見守っていた横田滋さんが、涙を流して何度も咳きこんでいたシーンを思い出す人も多いのではないだろうか。
 その後。北朝鮮が提出しためぐみさんの遺骨は、日本側のDNA鑑定で別人のものと判明している。
 滋さんは、“めぐみは生きている”という希望を最後まで捨てなかったのである。
 拉致被害者の家族や支援者たちは14日、小雨が降る中をJR新宿駅前で署名活動を行った。
 膠着状態が続く拉致問題の一刻も早い解決に向け、政府の積極的な取り組みの必要性を訴えていた。
 増元るみ子さん(66)の弟増元照明さん(64)は街頭に立ち、姉るみ子さんの写真を胸に「政府関係 者や政治家から“残念だ”“遺憾だ”“痛恨の極み”などという言葉が聞こえてくるが、もう言葉なんか要らない。実行あるのみだ!」と声を張り上げた。
 救出運動の象徴とも言うべき横田滋さんは全国を飛び回って署名を集め,講演活動に精魂を傾けた生涯だた。
 これまで毎月1回のぺースで行ってきた支援者たちの署名活動も、コロナウイルスの感染拡大で4月、5月は中止になった。
 都の休業要請緩和のお陰で3カ月ぶりの再開になった、 
「我々は国民の声を何度でも拾い上げ政府に伝えていきたい。それが滋さんの遺志を継ぐことにつながると思う」と照明さんは語る。
 横田滋さんが亡くなったことを受け菅官房長官は12日、「もはや一刻の猶予もないとの思いを胸に刻んで、問題解決に向けあらゆるチャンスを逃さない決意で臨んでいく」と表明した。
 拉致被害者の父母世代は高齢化が進んでいる。
 2月には有本恵子さんの母・嘉代子さん(94)が亡くなっている。
 菅官房長官は「拉致問題が安倍政権の最重要課題であることに今も全く変りはない」と述べ、被害者の早期帰国に取り組むことを強調した。
 増元照明さんが言うように、「もう言葉は要らない、実行あるのみ」である。
 政府が認定する未帰国の拉致被害者12人の親で存命中なのは横田早紀江さん(84)と有本恵子さんの父・有本明弘さん(94)の2人だけになってしまった。
 ホントに、「もう時間がない」のである。


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