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梟翁夜話 №65 [雑木林の四季]

ギターの話(中)

                翻訳家  島村泰治

ギターは六弦の撥弦楽器、面白いことに下の四弦はコントラバスと同じ調弦だ。由来はさて措いて、この楽器は古くは伴奏楽器で口三味線ならぬ手拍子代はりにミンストレルたちの相棒だった。だから、その独奏性能が深掘りされることがなく、いいところをリュートに攫はれてフラメンコの太鼓に堕してゐた。

ギターが独奏楽器に生まれ変はったのがイタリアだったのは皮肉だ。その辺の飲んべえがパヴァロッティ並みの声を張り上げる歌の国イタリアに、伴奏に重宝されるギターを独奏楽器に格上げし、いわゆるクラシックギターの誕生に尽くした作曲家が三人もゐる。ソル、カルリ、ジュリアーニがそれだ。教則本で知られるカルカッシもイタリア人、ピアノのバイエルのように、日本ではギタリストは概ねカルカッシの洗礼を受ける。

この御三家は数々の珠玉の曲をクラッシックギターのために残してくれた。私流に云へば、ソルはモーツアルト、ジュリアーニはメンデルスゾーン、カルリはベートーヴェンを思わせ、それぞれが特徴的な作品を残している。

イタリアで芽吹いたクラシックギターの花々は、やがてスペインで繚乱に咲き乱れる。アグアド、タレガからセゴヴィアと、フラメンコの太鼓は見事精緻な独奏楽器に蘇生する。アグアドの礎石にタレガの塔が立ちセゴヴィアの匠が華を添えたといえば妥当か。いまやセゴヴィアの謦咳に触れた弾き手が世界に溢れて、クラシックギターは将にいま花盛りである。

そう、現実に右中指の難儀に発する私のギターがどうなるという話だが、今日の様子を語る前に、いま暫し私なりのギター人生を留学後の思ひ出を交へて、お聞き流し頂くわけにはいきますまいか。

1950年代半ば、私は米国に留学した。下世話に云へば、プレスリーが騒がしく登場した頃のことである。わが日本を負かした国をこの目で見たいがための無理押し留学だった。金欠の日々、英語の不自由を辛くもこなしながら、アメリカ社会の裏表をいやと云ふほど見尽くし、昨今巷を騒がせてゐる人種差別問題の根っこをも見透した。(その辺りの血の通った話は別な機会に譲らせていただく。)

英語に馴染み英語での講義に不便がなくなるにつれて、学業は理系の物理と生物、文系の歴史、文化史、外国語(フランス語)に心理学を加へるまでになった。文系人間として、さて、何を専攻せんや、と悩み始めた頃、ひょんなことで私はパイプオルガンを聴いた。初めての音だ。講堂から漏れ聞こえる妙なるパイプ音、誘われるように裾の扉から忍び入り最後尾の長椅子に座る。弾き手は中年の男性、両方の手足を駆使して弾く姿はパイプオルガンという楽器の機能を一瞬に理解するに十分だった。

この日のオルガンの音と弾き手の男性との触れ合ひを契機に私の音楽生活が始まった。もの書きと翻訳が生業のいまは、音楽話は甘酸っぱい思い出でしかないのだが、その日の出来事を切っ掛けに音楽それも作曲理論が専攻と決まったのは、思えば咄嗟に過ぎる展開だった。

あのオルガンの弾き手はB先生、バッハを旨とする作曲家で、オルガン曲と声楽曲(合唱)を多数世に出しておられた。この人の元で作曲理論をみっちり学んだ私は、次のユタ大へ奨学金を背負って乗り込んだのだ。あのまま行けば、あわよくばお玉杓子で世渡りすることになってゐたかも知れないのだから、人の一生とは数奇なものだ。後年、お玉杓子は飯にはならぬ現実に負けて、万やむを得ず生業の術を書きものと翻訳に得た所以である。

その間、私の身辺にはいつもギターがゐた。ボイシの頃、学友のフルート吹きがギターの伴奏で吹いてみたいと云ふから、ジュリアーニのヂュエットを学内の演奏会で弾いた思ひ出は、昨日のやうに懐かしい。チェンバロより温かみがあって馴染むと云われて、技はさておきギターのために嬉しかったが、使った楽器が例のヤマハだったから、奴さんには済まないと内心手を合わせたものだ。

その経験が尾を引いて、ユタ大へ進学したあと間もなくギターを新調することになる。作曲科にF先生と云ふセゴヴィアの弟子がいて、ヤマハを担いでレッスンを受けに行った時の唖然とされたあの顔つきが、忘れようにも忘れられない。こんなもので何が弾けるかとありありと書いてある。乞われて弾いた某曲が日本ものだったことから、それでよくそんな音が出せるものだ、とのコメント。それを契機に弟子入りしたのだから、若気の至りながら多少は弾けたに違ひない。

いい楽器は高価だ。ギターにしてもラミレスやハウザーなど論外だ。街の楽器屋で物色したがアメリカにクラッシックギターはない。血の出るような出費ならむしろ日本の作家に、と思い立って、人伝ひに当時新進のギター作家河野賢氏に問ひ合はせてもらった。事情を話せば、ソルトレークは高地で乾燥が激しいから厳しいが、と躊躇されながら一本試しに作ると応じてくれた。

F先生の元で私はギターの指遣いの奥深さを知った。セゴヴィアサウンドとはかういうものだ、と弾かれてじんと身に沁みた。切ないヤマハであれこれと学びながら、コウノが待ち遠しかった。(続)

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