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検証 公団居住60年 №58 [雑木林の四季]

第三章 中曽根民活

X 地価バブルのなかの団地「改良」1 国立富士見台団地の場合

     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

1.分譲住宅の建て替え計画
 賃貸住宅の建て替えについては先にのべた。公団は分譲住宅の建て替えも進めていた。
 わたしのファイルに国立富士見台「汚水処理場跡地住宅建設計画概要」「分譲住宅建替事業計画書」が残っている。日付はいずれも1990年5月、前者は住都公団名、後者は団地建替研究会、公団、住友不動産株式会社の3社の連名である。
 団地の汚水処理場は第1団地さくら通り北側東端の、いま7階建て賃貸36号棟が建っている区画にあった。公団が設置し、89年に北多摩2号幹線流域下水道の終末処理場が完成したので撤去した。跡地を公園に、一部に駐車場を新設するよう自治会は公団に要請していたが、公団はそこに9階建ての賃貸住宅を建設し、隣接する分譲住宅298戸の建て替えに必要な仮移転先としてまずは利用する計画だと90年1月に言ってきた。
 分譲の管理組合が建て替えの検討をはじめたのは87年半ばであり、88年には計画案をしめし組合員に説明会をひらき、89年に民間ディベロッパーと接触しているから、公団がオファーしたとか当初から関わったわけではなさそうである。しかし公団は建物の建築主であり、すでに分譲住宅建て替えの実績もあり、働きかけはしたのだろう。「実績も信用もある」公団が、しかも頭の痛い仮移転先まで隣りに新築してくれるというのだから、建て替え推進派には「渡りに大船」だったにちがいない。90年5月には公団がくわわっ
て建て替え計画書ができあがり、6月の総会に建て替え推進決議が提案され、263世帯(88.3%)の賛成をえた。
 計画書(案)によると、敷地面積は27,371Ig㎡、現況戸数298戸、専有床面積平均約52㎎㎡、5階建て、容積率約62%、駐車場73台を建て替えて、それぞれ470戸、平均75㎡/戸、4~13階建て、約150%、470台にする計画であった。等価交換方式だから「組合員は新たに取得する住宅の建設費を用意する必要はない」という。
 国立富士見台の地価は、団地建設当時にくらべ百倍単位の高騰をしていただろうから、各戸が共有する敷地の一部をディベロッパーに売却すれば、その価格に見合う床面積が無償で取得できる、平均75㎡的広い新居に入れるというわけである。事業費は、業者が組合員取得以外の住宅を一般に売却して回収することになる。
 分譲管理組合の当初のスケジュールによると、91年に全戸の同意を得て建て替え決議をし、92年春に引越し、94年には新居に戻る予定であった。
 汚水処理場跡地の賃貸36号棟の新設は、この予定に合わせたものであり、95年秋に完成をみた。敷地面積約5,000㎡、建設戸数110戸(最終91戸)、9階(最終7階)建て1棟、平均約56d′戸、エレベーター1基、集会所約88㎡、駐車場100台(機械2段式をふくむ)、ほか駐輪場、家賃は10~19万円でスタートした。既存賃貸の居住者は、建て替えになると新規建設並みに家賃が3倍にも4倍にもなる恐ろしさを身近に実感した0
 わが自治会は、公団の分譲住宅とはいえ、すでに私的財産であり、公共賃貸住宅を新設しそれを真っ先に私的事業に利用する計画には賛成できなかった。仮移転先として利用するならば、近くの同じ公団賃貸の、受け皿がなくて難渋している建て替え着手団地、府中団地などへの協力を優先させるべきではないかと意見をのべ、新設住棟の家賃設定のあり方、管理等についても話し合い、覚え書をかわした。
 分譲建て替えの進捗状況については、その後2年はどして、権利の持分にっいて合意が得られなかった、新たな負担ゼロから何十万か何百万円の追加負担が必要になるらしい、推進派の役員が転居した、等々の話が伝わってきた。築後25年、大型修繕の必要にせまられながら、建て替え計画が浮上したため、修繕か建て替えかでも意見の対立があったようだ。
 東京圏でバブル崩壊がはじまったのは92年、門年以降地価は下落し、マンション販売戸数の低迷がつづいた。分譲の建て替え計画が頓挫した事情は部外者に知る由もないが、客観的な背景として地価バブルの崩壊があった。小林一輔ほか『マンション』(2000年刊、岩波新書)も、「この時期にもちあがった建替え計画は、高騰した地価に支えられたものである。バブル期の終焉とともに建替え計画の修正を迫られるのは、なにも国立富士見台団地にかぎらない」という。
 着工のまえに頓挫してよかったのかもしれない。それが団地再生へのきっかけになり、「見違えるように蘇生した」経過を同書はくわしく書いている。しかし、それまでに使った費用のツケは軽くはあるまい。区分所有する敷地の一部を売却して支払いにあてられたのだろうか。
 分譲住宅建て替えの決断は、もちろん所有主たちの責任にはちがいないが、住都公団がバブル便乗型の事業パートナーとして加わり推進したことに責任はないのか。公団は88年から98年までに分譲住宅の建て替えを4,000戸余おこなっているが、そのうち約3,000戸はバブル崩壊直後の92年から95年にかけて完成している。


『検証 公団居住60年』 東信堂

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