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日本の原風景を読む №3 [文化としての「環境日本学」]

はじめに ― 今、なぜ原風景か 3

 早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

風景から自己(アイデンテイテイ)を確かめる

 二〇一一年三月の東日本大震災と、連動した東京電力原発メルトダウン事故とによって、東北太平洋岸の風景が壊滅し、消去されるのを私たちは目の当たりにした。大津波は水の壁となって土煙を巻き上げ、田畑と集落を蹴散らし、跡形なく消し去った。3・11のあの光景を目にした時、私たちの身のうちから、かけがえのない何ものか、おそらくは私たちの心のよりどころ、行動の足場となる「場所性」(トポス)が、風景と共に失われていくのを感じなかっただろうか。ほとんど制御不能に陥った原子力発電所の苛酷事故を伴い、東日本大震災が文明史的な大事件と言われるゆえんである。

 巨大な災害に直面した社会では、元あった姿に復帰しようとする「立て直し・復旧」のエネルギーと、新しい規範に基づいて社会を作り変えていこうと試みる「世直し・復興」の動きとがぶつかり、連動していく。文明史的な経験に学ばず、例えば原発再開に見られる「復旧」の動きは政府、自治体の主導により進められてきた。
 しかし、日本社会は3・11から九年を経た二〇二〇年の現在、いまだに世直し(復興)の理念を見出し得ていない。おおいかぶさるように新型コロナウイルスによるハンデミックが地球規模に拡がっている。社会はいわば海図なき漂流に陥り、人心は右往左往している。そのさ中に、文化の基層に発し、自己確認の手がかりともなる風景を読み解き、探求する第四の風景論が、日本人の内面的な欲求として待望されている。
 何によって第四の風景論は論じられ、その認識は共有されうるのであろうか。その解への手がかりを得る試みを、私たちの精神と美意識形成のルーツである、文化の基層が表現された原風景を訪ねることから始めたい。そして日本人とは何か、風景の現場でアイデンティティ(自己)の確認を試み、文化に根ざす広範で揺るぎない共感と心構えとによって、世直しに向かいたい。事の成否はひとえに、人々の心構え、覚悟の総和にかかっている。法も制度も企業の社会活動も、本物であるためには、携わる人間の強固な心構えを基盤としなければならない。「強固な心構え」とは文化に根ざした共感であり、場所に根ざし、人間存在の基体となる、これだけは譲れない、「かけがえのない価値」への自発的な認識である。

 自然、人間、文化を一体として「環境」と定義し、文化としての環境日本学を探求することが、早稲田大学早稲田環境学研究所(二〇〇八年設立)・早稲田環境塾の究極の目的である。
 塾は奥羽山脈の直下山形県高島町和田と、北海道釧路湿原に隣接する標茶町虹別で、地域の人々と親しく交わり、環境とは何か、現場での実践に学んできた。高畠は有機無農薬農法と生産者・消費者提携の原点で、作家有吉佐和子の『複合汚染』の取材現場でもある。標茶では摩周湖に発しオホーツク海へ至る西別川河畔での「西別コロカムイの会」によるシマフクロウ百年の森つくり」と協調してきた。根釧原野開拓農家の苦闘を描いた開高健の『ロビンソンの末裔』の現場に近い。本書の主張点と骨格は高畠と標茶での実践を裏付けとしている。

 このような理由から、新聞連載の記事と写真は本書が提起している世直しの手がかりとしての「原風景」の意義に沿い、大幅に改め構成も変えた。
 「水俣湾、二つの原風景」「アイヌの神、シマフクロウへの共感」「蘇る宮沢賢治」「宮沢賢渦の海」「3・日と魂の行方」の各篇は、いずれも早稲田環境塾の研究フィールドでの当事者の講義と取材に基づいて新たに書き加えた。「潜伏キリシタンの『あまりにも碧い海』は筆者が五〇年間、ほとんど毎年釣り目的で訪れている長崎県平戸、生月の島々で得た実感と知見とに基づき記した。
 写真は筆者と行動をともにしてきた早稲田環境塾塾生、写真家・佐藤充男氏の撮影による。


『日本の原風景を読む~危機の時代に』 藤原書店

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