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日本の原風景を読む №2 [文化としての「環境日本学」]

はじめに ― 今、なぜ原風景か 2

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

原風景とは何か

 人の心を育て、鍛え、挫折した時にはそこへ戻って立ち直ることができる、風土性豊かな自己形成の場である。文芸評論家奥野健男は、島崎藤村の信州馬寵の宿、太宰治の津軽、井上靖の伊豆湯ヶ島、大江健三郎の愛媛の山中などを例に挙げて記した。
 「これらの作家たちは、鮮烈で奥深い〝原風景〟を持っている。自己形成とからみあい、血肉化した、深層意識ともいうべき風景なのだ。彼らは絶えずそこにたち還り、そこを原点として作品を書いている」(『文学における原風景』集英社、一九七二年)。
 一九九四年十月十三日、大江健三郎さんがノーベル文学賞の作家に選ばれた。大江さんは愛媛県松山市に近い内陸部の小さな村、喜多郡大瀬村(現・内子町)に生まれ育ち、作品にも四国の谷間の集落がしばしば登場する。『東京新聞』によれば、受賞に沸く地元の人たちは「ふる里の森や川などの自然に寄せる熱い思いが、大江文学の原点と受け止めている」。

 - 僕は四国の森の中の谷間をモデルにして作りあげた神話と歴史の舞台を、やはり書き直し続けてきた。小説家は、そのような場所の設定なしに、現実を越えたものを想像し、思索することはできない。そのような自分にとっての特別な場所に、やはり自分で作り上げた人物たちを位置させることで、小説を書くこと、あるいは小説家として生きることは始まるのである。   (大江さんの手記、『東京新聞』十月十四日朝刊)

 奥野が指摘する「自己形成とからみあい、血肉化した、深層意識ともいうべき風景」 がそこにある。
 経済学者で『農の美学』(論創社)などの著書を持つ勝原文夫は、個人の原風景の中には純粋に〝国民的な原風景″と呼ばれるべきものが重層的に共存していると指摘する。
 -国民的原風景が形づくられるには国民的な伝統も大きく影響する。日本人は農村の風景を直接に〝故郷″という形で〝原風景″とするばかりでなく、農村に直接故郷を持たない者も、弥生時代から日本人が水稲農耕の民であった伝統をとおし、農村の風景を原風景となしうる。  (『農の美学』)

 勝原は小林一茶の句を農の原風景として例に挙げている。
  けいこ笛田はことごとく青みけり
  ざぶざぶと白壁洗う若葉哉
 二〇一八年夏、高校野球選手権で準優勝した秋田県立金足農業高校の選手たちが胸を反らせて歌う校歌(近藤忠雄作詩)は新聞、TVによって繰り返し紹介され感動をもたらした。農の営みが日本人の記憶の原点にきざまれているからであろう。
 霜しろく 土こそ凍れ
 見よ草の芽に 日のめぐみ
 農はこれ たぐいなき愛

戦争と風景論

 日本の近代化途上、風景を文化の表現としてとらえた風景論が三度興った。いずれも戦争に関連する危機の時代であった。
 志賀重昂の『日本風景論』は日清戦争(明治二十七~二十八年、「八九四~九五年)が起きて間もない明治二十七年十二月に刊行され、国家意識高揚期の青年たちに迎えられた。
 志賀は日本風景の特長を、科学的な面から四つに要約した。
 気候海流の多変多様、水蒸発の多量、火山岩の多さ、流水の浸食激烈である。
 さらに感覚的な面から三つの特徴を指摘した。
  清酒(すっきりあか抜けている)
  秩宕(てっとう・奔放、堂々としていて細事にかかわらない)
  美(美しく立派なこと 感覚を刺激して内的快感を呼び起こすもの)
 銀行員、登山家小島烏水(うすい)の『日本山水論』は、日露戦争(明治三十七~三十八年、一九〇四~〇五年)のさ中(一九〇五年)に刊行された。日本で初の本格的な登山のすすめ論であり、風景をかたち作る自然生態系の解説も試みた。山岳修験道に発する日本とキリスト教に由来する欧米との自然観の比較から、風景政策、風景地計画にまで論は及んだ。詳細な一覧表により、山岳を自然(科学)と人間(歴史、人文科学)の諸要因が統合された営みの場とみなし、「山岳とは芸術なり」の卓見に至る(第二章「日本山嶽美論」)。
 林学博士上原敬二の『日本風景美論』は、太平洋戦争中の昭和十八年(一九四三年)に刊行された。上原は「信仰の対象とし、敬仰の標的とした霊山に対して人間として『征服』という文字を使うのはそれこそ自然冒涜である。人に対しても自然に対しても征服思想を抱く問は大成しない」と主張している(総論4「自然と人」)。しかし志賀、小島の論に比べると皇国史観を明示し、国土を根源とした愛国心の発露を激しく主張している。上原の風景論は国際的に追い詰められた後発資本主義国日本の窮状を反映し、社会がゆとりを失った状況を反映しているように思える。
 三つの風景論は、いずれも文化としての日本列島の風景美、独自性を讃え、ひいては戦局に配慮してナショナリズムの強調に到る内容であった。


『日本の原風景を読む~危機の時代に』 藤原書店


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