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ケルトの妖精 №28 [文芸美術の森]

 エインセル

            妖精美術館館長  井村君江

 ノーサンバーランドのニューカッスルの近くにあるロースリー村に、小さな男の子が、お母さんとふたりで住んでいた。
 それは、とても寒い晩のことだった。夜が深まってきてもいつまでも寝ようとせずに遊んでいる男の子に、お母さんは、
「遅くまで起きていると妖精に連れていかれますよ」
 と、いつものようにお説教をしたが、男の子は暖かい暖炉のそばから離れようとしない。
お母さんはあきらめて、ロウソクの灯を吹き消すと、ひとりでベッドに入ってしまった。ロゥソクの灯が消えても暖炉の灯で部屋は明るかったから、男の子はまだ夢中になって遊んでいた。
 と、そのとき、煙突から、キラキラとした光と一緒に、小さな女の子がふわりとおりてきて、暖炉の前で飛んだり跳ねたり、楽しそうに踊りはじめた。男の子ははじめは驚いたけれど、遊び相手ができたと思うとうれしくなり、女の子を手招きして話しかけてみた。
「きみはだれなの?」
「わたしはエインセルよ」 (エインセルは「自分自身」という意味)
「あなたの名前は?」
「エインセルさ」
 男の子は、女の子の名前がおもしろかったので、まねして同じように答えた。
 自己紹介がすんだふたりは、仲よく遊びはじめた。
 時がたつのも忘れて遊んでいるうち、夜はさらに深まり、暖炉の火も乏しくなって部屋が冷えてきた。そこで、男の子が火かき棒を持って、暖炉の残り火を勢いよくかきまわした。すると、火の粉が飛び散って女の子の足に落ちてしまい、驚いた妖精のエインセルはすさまじい悲鳴をあげた。男の子は耳をつんざくその声に震えあがり、こわくなって薪の山の陰に隠れてしまった。
 と、そのとき、こんどはまた、家がきしむかと思うほど大きな音がしたかと思うと、エインセルのお母さんが煙突から飛びこんできた。お母さんはあきらかに怒り狂っているようすで、
「どうしたというの! そんな悲鳴をあげて」と叱った。
「やけどしてしまったの。母さん、痛いよ」
「いったい、だれがおまえにやけどさせたんだい。母さんが仕返ししてやるから、言ってごらん」
 妖精のエインセルは、この家の男の子の名前を告げた。
「エインセルよ」
「なんだって、エインセルだって!」
 母親の妖精はこう言うと、さらに憤慨して、
「自分でやけどしておいて、どうしてそんなに泣きわめくの。もう、家に帰りなさい」
 そう言ったかと思うと、小さなエインセルを煙突のなかに蹴りあげ、自分も出ていってしまった。
 隙間からその一部始終を見ていた男の子は、あわてて薪の陰から飛びだして、お母さんのベッドにもぐりこみ、頭から毛布を被って寝てしまった。
「お母さんが言っていた、夜更かしすると妖精に連れていかれるという話、あれはほんとうだったんだ」
 つぎの晩から、この子は二度と夜更かししなくなったということだ。

◆ 男の子は名前をきかれたとき、遊び半分から妖精が言った名前をまねをして「エインセル」と言ったので、運よく妖精の母親の仕返しから逃れられた。
「だれでもない、わたし自身」という名前の妖精の話は、イギリス各地にある。だいたいは、この話と同じように、人間が妖精や巨人にけがをさせてしまうのだが、名前をきかれて「わたし自身」と答えると仕返しをされずにすむというものである。
 それらのネモ譚(ネモはラテン語でノーマン/だれでもない人の意)は、「ノーマン・ストーリー」とも呼ばれている。ギリシア神話やホメロスの『オデッセイア』にも同じような話があり、妖精や巨人の危害から逃れる人間の巧みな知恵の働きを感じさせられる。ここでは、そうしたことを知らずに、なにげなくおうむ返しに妖精の名前を答えた子どもが、難を逃れた話になっている。


『ケルトの妖精』あんず堂


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