SSブログ

過激な隠遁~高島野十郎評伝 №29 [文芸美術の森]

第五章 増尾のアトリエで

        早稲田大学っ名誉教授  川崎 浹

「人生うものはさびしいものだなあ」 2

 ずっと昔の野十郎であれば、道の窪みをさらに深い色でえぐり、強いアクセントで見る者に見やすいメッセージをこめていただろう。しかし目の前の絵には強さも深さもない寂蓼感が漂う。この「空気」の始発点は手前の仔細に措かれたススキの三つの叢にあり、それは右の叢から順次左側のすすきへと移行し、それと重なる画面すこし上の道に足をおろし、やがて焦点の窪みに向けて右へ登り、しばしそこにとどまって、さらに左に登るとに

ゎかにススキの霧雨にせばめられ、はるかな山との距離を示す。道はそこで切れる。はるかな山の位置と色彩は必然的にこうならざるをえないというふうに構成されている。同時に山の存在そのものが「空気」を迎えいれるための、自ら神とは主張しないがやはり一個の神の使者であると感じさせる。またそれを遣わしたのが背景の空という何ものかであることを気づかせる。
 野十郎も《高原の道》は自分の手もとに留めておきたかったのだと思う。というのはその後全く同じ《高原の道》が少し大きなサイズで姿をみせたからから。つまり《高原の道》は二点あることになる。
 高島さんの 『ノート』にこういう歌が記されている。

   山路行くさびしきものとは思はねど
   つれ人なきぞなはゆたかなり

 「つれ人なきぞなはゆだかなりlと謙れ人中本当のさけしきとは、だ〃の鳩がり.ではなく、前の行のさびしさより一段と豊かなものでなければなるまい“そのさ伊上さの良廠山『ノート』に記された次の一行につながっていないだろうか。

   寓実の極致、やるせない人間の息づき1それを慈悲といふ

 この一行は野十郎独自の文法によるいわば「著者言語」のようなもので、意味を読みとるには、著者の「辞典」というべき『ノート』の別の旬を参照するのもひとつの手だ。それによると「写実」とは「色の名稀をすてゝしまふ.色といふ言葉もすてゝしまふ」対象把握の技法であるから、そこに見たのが裸形の人間であり、そして彼らへのやるせない息づかい、それは野十郎ではないものから野十郎のなかに入ってきてふと留まっている何ものかである。それを野十郎はひきうけることができたのだ。

 画家にきつい言葉を投げつけてきた姪の満兎(まと)は、じつは兄のあとを追って自分も共産党員になったのだが、アジトを刑事に踏みこまれ、隣家にとび移ろうとして転落、当時自宅で寝たきりの生活を送っていたが、まもなく二十四歳の若さで亡くなった。満兎の兄も拘禁、刑務所暮らしのはて同じ歳で病死していた。兄嫁のきく子も、兄宇朗も亡くなっていた。思えばやるせないことだったろう。老病死のほかにも実に数えきれぬほどの苦悩と闇を背負いこまねばならぬ人間への野十郎独自の眼差しがある。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。