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検証 公団居住60年 №57 [雑木林の四季]

第三章 中曽根民活~建替えに対する居住者の困惑と抵抗

     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

5.昭和40年代団地をねらう「公共賃貸住宅建替10カ年戦略」

 公団の建て替え事業は、事業そのものの矛盾と居住者・自治協の抵抗、要求運動によって行きづまりをみせ、制度の手直しをよぎなくされていた。公営住宅への優先入居制度(1989年)や敷地の一部を地方自治体に譲渡して公営住宅を併設する制度(92年)がつくられた。92年6月に建設省は「公共賃貸住宅建替10カ年戦略」をさだめ、公団の建て替え後住宅を地方自治体が借り上げ、準公営住宅として供給する制度(94年)もはじめた。
 しかし、これらの制度はいずれも、国がすべき負担を自らはせず、地方自治体にしわ寄せするものである。考えてみれば、公団住宅は基本的には入居者の家賃支払いによって形成された社会資産であり、その建て替えは国の責任において実施すべきである。建て替えもまた入居者の負担と犠牲によって実施しようとする方式が行きづまりをみせるや、そのしわ寄せを地方自治体に押しつける。地方財政が長びく窮状にあるとき、国は公営住宅にたいする建設費の国庫補助を廃止して交付金制度にかえ、公営住宅は新規建設の停滞どころか、縮小をよぎなくされているのが現状である。地方自治体が、公営住宅の建て替え推進に協力する余地のないことは自明である。まして、税収増ではなく支出増をまねく所得階層の定住にあえて寄与しようとする自治体は、あっても例外的といえよう。公団自体が敷地分譲の「適正」価に固軌して制度実現に積極的ではなかったとも聞く。それでも制度創設当初は、東京多摩地区でいえば久米川(200戸)、府中(121戸)、武蔵野緑町(240戸)で都営住宅併設、桜堤で市営24戸の敷地分譲、小金井で特定目的借上げ公営住宅110戸の実現をみた。他府県でも若干は進んだが、2000年代にはいって新たな協定成立は知らない。
 以上みたように、居住者を犠牲にし、地方自治体にしわ寄せして国が公共賃貸住宅の建て替え促進に求めたものは何か。「建替10カ年戦略」資料の結びには「なお、本戦略の策定においては緊急経済対策においても住宅投資の促進策の一環として位置づけられているところである」と記し、公共住宅の相て替え事業が内需拡大による景気浮揚策であることを明らかにしている。
 バブル崩壊後の経済状況下にあって、公営、公社、公団賃貸住宅それぞれの従来の建て替え手法・施策が行きづまりをみせるなかで、経済界は新たな景気対策として注目しており、政府がこの要請にこたえて策定したものであった。
 公団住宅建て替えの行きづまりを前にしながらも、「戦略」がつぎに狙ったのは、昭和40年代以降の団地である。公団は「昭和30年代に建設した団地を原則として古い順に建て替える」と説明してきたが、戦略はその枠を拡大して「応募倍率等から公団賃貸住宅への需要が高いと判断される地域に存し、かつ建て替え後の住宅の戸数が従前の概ね1・2倍となる団地」をターゲットにした。建て替えの要件は住宅の老朽度ではなく、儲かるかどうかであるとし、40年代以降の団地をも射程距離にいれた。


『検証 公団居住60年』 東信堂

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