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渾斎随筆 №57 [文芸美術の森]

 朝河貫一と私 2                                  
    - 木村毅君に答へる ー

                 歌人  会津八一

 この會には始めから四角張った趣旨もなく、主人側の挨拶もなく、お客側の謝辞もなく、ただ早荷田の文科を出て、文學で飯を食ってゐる先輩後輩もろもろ三十人ばかりが、久しぶりで先生のお庭に集まって半日の歓談を交はして、わかれて帰るところであった。先生もごきげんに見えた。すると庭の中ほどの一脚の椅子から、やをら身を起した一人が鹿爪らしく演説を始めた。それが朝河さんであった。その演説は随分はっきりと自分の思ふ通りを、遠慮なく長々と述べつくしたものであった。その要領のまた要領をかい摘んでいってみればこんなことになる。
 私は近いうちにアメリカへ帰る。今後は二度と日本へ来ないつもりだから、おき土産として所見を述べて行く。随分ご清興を害しお耳障りの點があらうが、その中に私の誠意と好意とを認めてほしい。
 私は早稲田を卒業してあちらへ行き、あちらの學校へはひつてから、すぐ気がついたことは、あちらの同級生たちと同じ題目で論文などを書いても、どうも自分ばかり偉くて、あちらの學生が、どれもこれも子供っぽく、思想的に貧弱で筆も立たないといふことであった。けれども月日のたつに従って、つくづくと考へ直してみるに、それはあちらの學生が子供っぽいのでなく、こちらが小ましゃくれて柄になく生意気であったのだといふところに気がついた。日本の學校にゐた時に自分自身も周囲の同級生たちも、あまり達者でもない語學の力であまり豊富でもない参考書を、ほんの一二冊讀んだだけで、ただそれだけで自由に大脆に大きな結論をしたものだが、そんなことではいけない。大學とか學徒とかいふ看板をかけて、學藝の世界的な貢献をやるといふなら、何よりさきに棄ててかからなければならないのは、かういふ浅はかな軽薄な習慣だ。一度かうした習慣がついてしまふと、これを棄てて本式の研究にはひるのが、なかなかむつかしい。むしろ絶望的にむつかしい。そのことで私自身あちらで随分苦労をしたものだ。ところが、も一つ考へてみるに、かうした軽薄な態度は、日本ではどこの學校でも同じやうだが、残念なことに早稲田で一番甚しいやうだ。この點を一つ考へてほしい。私はふたたび日本へ来ないつもりだから、この一點で皆さんから如何ばかりのご立腹を受けても、少しも恐れることはない。ただ母校の學風の向上のためにこれだけの希望を述べておく。
 朝河さんははっきりとこれだけのことを述べ終ると静かに椅子についた。坪内先生は両腕を胸に組んだまま無言で聞き入って居られた。私のすぐ側に居た島村抱月さんは少しビールの酔が回ってゐた模様で、話の進むに従ってだんだん興奮して、ブツブツいって居られたが、朝河さんの話が済むと、駁論でもするといふのかあの細い眉を釣り上げて立ち上がりさうにするのを、隣にゐた中高半欠郎さんがしきりになだめてゐた。そのありさまが今も私の目の前にはっきりとうかぷ。
 朝河さんは果してその後ふたたび日本に来なかった。そしてエールでは、最初はジャパノロジー、後には欧洲中世史の特殊研究で大きな名聾をあげ、名響教授としてひろくアメリカ人から尊敬を受けて七十五年の生涯を終へられた。恐らく早稲田のために希望を遺して去られた通りを自分でみごとに實行して瞑目されたことであらう。けれども私の話したのは四十何年も前のことであってみれば、早稲田といヘビもいつまでもその頃のままであるはずもないし、事案そんなものでないことを特にここでことわつておく。

 木村さん、あなたのお書きになったのと私のと、よくお較べ下さい。いくらか達ふところがあったら、そこが私のご返事だとご承知ください。(八月三十一日草)
                  『夕刊ニイガタ』昭和二十四年九月四臼

『会津八一全集』中央公論社

                                    

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