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じゃがいもころんだⅡ №29 [文芸美術の森]

中村汀女とわたし

               エッセイスト  中村一枝

 今はすっかり変容してしまった下北沢だが、私が初めて汀女の家を訪ねたころの下木附沢はすぐ近くに井の頭線の踏切があり、人通りも多く、どこか庶民的でなごやかな町だった。
 汀女の住まいは駅から一分くらいの便利な場所のちょっと入った小路に面していた。 ありきたりの和風二階建て。玄関を入るとすぐ応接間があり、応接間の前には決して広くはないが手入れされた庭があった。
 私の父は家とか物とかには全く無頓着な男で、今、大森の記念館になっている住居を建てたのは、母のささやかな希望をかなえるためであった。当時は全集などの出版もあって、多少金銭の余裕もあった頃だった。 大森の小学校の友達はみんな、大きくて洒落た造りの家に住んでいたから、私はどこに行っても家のことが気になった。汀女の家はまさに典型的な、ふつうの家だったことに私はほっとした。応接間一つない当時の私の家に比べれば中村家はまあまあ上等な住まいに見えたのだ。
 当時汀女は少しずつマスコミに名前が知られ、その美貌と才能に注目が集まり始めていた。家にいる汀女は仕事を持つ女性というより、ごくふつうの初老の女性であった。
 家で飼っているわけではないのに、台所に猫がごろごろいたのには驚いたが、動物好きの私にとってはむしろ好印象を持つきっかけになった。若々しい明るい声が聞こえて、紅茶を持った、三十くらいの女性が首をだした。夫のお姉さんだった。兄姉というものを知らない私には、まぶしいくらい輝かしい存在に映った。いかにも現代風でモダンなお姉さんは目をくるくえう回しながら弟のところにきた縁談の相手に好意と好奇心を体いっぱい見せている。私はお姉さんの出現で、少し古臭い、現代離れした空気が一変して、明るい伸びやかなものに変わっていったのを知った。その日中村家にいたのは一時間かそこいらの短さであったし、彼が同席したわけではないが、なぜかこの家の一員になることが少し嬉しく思える心境になっていた。
 私と夫が結婚したのは初めて逢ってから一年後の十一月十二日だ。いわゆる見合い結婚という概念を超えてずい分長く付き合うことになったのだが、いろいろの意味で、良かったと思っている。彼の酒癖の悪さもこの眼で確かめた。母は猛反対したのに、自分一人で走り出してしまった。
 昔汀女一家が住んでいた場所は、今、小さな敷地に三分割されて、義弟の奥さんが暮らしている。結婚を、男と女の夢見るような愛の形としか認識していなかった私が、舅姑と波風もたたず過ごせたのは、今、思うと、汀女の大きさ、暖かさがあったからに違いない。
 お母さまって保守的なんだから、心の中でそう批判し続けながら、結局彼女の大きさの中に包み込まれてしまったなあと、ちょっと口惜しい気持ちと、一方で、当たり前だ、という気持ちが交差している。

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近藤明理

著名な文学者の家庭から、著名な歌人の家庭へ嫁がれた筆者。世の文学少女からすれば、夢のような「有り得ない話」なのに、それをごく普通のことのようにさらりと書いているところが、また凄いと思いました。
by 近藤明理 (2020-05-24 22:43) 

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