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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №28 [文芸美術の森]

第五章 増尾トリエで

            早稲田大学名誉教授  川崎 浹

「人生というのはさびしいものだなあ」 1

 高島さんは「ここは私の天国だ」と言っただけに、東京オリンピックの都市改造で青山から追放された画家は、増尾のアトリエではオリンピック騒ぎに煩わされることなく画業に没頭できた。もっとも画家はオリンピックが秋に開催されたために、個展を「美術の秋」ならぬ、冬の翌年一月に延期せざるをえなかった。
 増尾のアトリエでいちばんつよく印象に残っているのは、あるとき高島さんが椅子に腰かけていて、なんの拍子だったか、頬杖でもつくような感じで、「人生というのはさびしいものだなあ」と言ったことである。「どういう意味で」と私は聞くのをためらった。そのためのちに長いあいだ、ああでもないこうでもないと解釈に悩むことになった。遁世者の世界には、その世界にしかない孤独がある、のかも知れない。
 俗世には職場や家族があり、幸不幸をこえて顔を合わせなければならない「関係」がある。この「関係」こそがよくも悪くも人間を孤独感から避けさせている。遁世者にはこののっぴきならぬ「関係」を捨てた自由の代わりに孤独が訪れる。
 当時私は「人間は原則として孤独である。なぜなら人間の根元的な生の一形態である死においてだれも死を共有してくれる者はないから」と考えていたが、これはおそらくハイデッガーの影響だろう。この観念が私に高島さんと自分は共通項をかかえているのだと誤解させ、あえて高島さんの懐にとびこむまでもないと、質問を控えさせたのかもしれない。
 しかし前述したようになんとも申し訳ないいきさつで《嵩原の道》(口絵7)を私が入手したことに、創造主はその回答の意味をひそませていたのではなかろうか。この絵を限りなく眺めていると、寂しさというより寂蓼感としかいいようのないものが訴えかけてくる。
 絵のサイズは二四・五×三三 二。茫々と一面にススキの野原が広がっている、そのなかを左下から右斜めに向けて登る坂道があり、途中まで上がって窪みをつくり、こんどはふたたび左上方に向けて路が細くなり、やがて遠くのススキの間にかくれ、その奥に、淡い薄曇りの空よりは漉いが、それでも淡い水色の八ヶ岳があり、そのすそが此岸の林立するススッキと競り合うようにして水平に延びている。
 絵の中心は岩石が転がっている道の曲がり角の窪みである。雨水の強い流れが原野か削ってできた道なので、崩れ落ちた野の断面が生々しく褐色のまま残り、この絵にわずかではあるが強いアクセントをつけている。
 遠方の茫洋としたススキの群生をルーペで観察すると、必ずしも相互に重なり合っているのではなく、林立していて、その模様はあたかも遠近法を無視し、後方にジャコメッティの三メートルもある立像を無数に拉致してきたかのように思える。しかし画面から離れて眺めると、それは霞んで額縁のなかに溶けこみ、構成上のモチーフとして自然の一部にもどる。

川崎高原の道.jpg
高原の道

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社

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